関谷陽
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関谷 陽(せきや たかし[1][2]、1902年(明治35年)- 1988年(昭和63年)2月6日[3])は、昭和時代の洋画家[1]。大正-昭和時代に活躍した日本画家の関谷雲崖の長男[2]。
経歴・人物
[編集]1902年(明治35年)栃木県那須郡両郷村富貴田(現:栃木県大田原市河原)に生まれる[2]。東京美術学校西洋画科卒業[1]。1930年代従軍画家として中国へ赴く[1][2]。妻は同じく画家で従兄弟である関谷富貴(せきや ふき、1903-1969)[2][4]。晩年まで東京都世田谷区松原に暮らす[4]。二科会に属した[5]。
陽は「たかし」と読むが、作品の署名は「YO」としていた[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 黒羽の人物 - 大田原市立図書館、2018年6月27日閲覧。
- ^ a b c d e f 【衝激の色彩 関谷富貴の軌跡】(2)生涯 作品の発表断り「夫を世に出す」 - 産経ニュース、2018年6月27日閲覧。
- ^ 『20世紀物故洋画家事典』(美術年鑑社、1997年)p.166
- ^ a b 企画展[関谷富貴の世界]|栃木県立美術館、2018年6月27日閲覧。
- ^ asahi.com(朝日新聞社):「関谷富貴の世界」展 妻の秘密 うれしい発見 - 文化トピックス - 文化、2018年6月27日閲覧。