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関田為平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
関田 為平
国籍 日本の旗 日本
職業 社会教育家
配偶者 茂樹(関田英穂の長女)
子供 愼一(長男)、信子(長女)、順子(二女)、満壽子(三女)、登美子(四女)、健二(二男)、正道(三男)、千里(五女)、長生(四男)
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関田 為平(せきだ ためへい)1885〜1956 高知県長岡郡大篠村(現 南国市)の社会教育家。

経歴・人物

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社会教育家。明治18年10月29日長岡郡大篠村 大そね乙1746(南国市)に生まれる。父可通、母喜代。県立第一中学校をへて、第一高等学校3年を中退する。高知市に無料施療所を開設し、大正6年頃には高知県連合青年団を結成して副会長 となり、長岡郡連合会長を兼任した。処女団を創設、部落解放運動として部落内青年団、処女団運動を起こす。からわら貧しい優秀な青年には学資を提供した。大正8年県会議員に当選。また大篠村長 や修養団高知県連合会 理事を務め 希望社や生長の家にも関係する。こうした運動に 30町歩ほどの所有地を投入した。戦後農地委員や選挙管理委員等を務める。昭和31年2月22日没 70歳[1]

親族

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・父:関田可通

・母:関田喜代(蒲原源次の長女)

・妻:関田茂樹(関田英穂の長女)

・長男:愼一、長女:信子、二女:順子、三女:満壽子、四女:登美子、二男:健二、三男:正道、五女:千里、四男:長生

・孫:関田康慶(健二の長男)

・曾孫:典義(康慶の二男)

・来孫:康誠(典義の長男)

脚注

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参考文献

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  • 高知県人名事典編集委員会 編『高知県人名事典』高知市民図書館、1971年12月20日。国立国会図書館書誌ID:000001216711