関水武
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関水 武(せきみず たけし、1883年(明治16年)1月5日[1] - 1939年(昭和14年)7月8日[2])は、朝鮮総督府官僚。
経歴
[編集]神奈川県高座郡渋谷村(現在の藤沢市から大和市にかけての地域)出身[1]。1911年(明治44年)、東京帝国大学法科大学法律科を卒業し、高等文官試験に合格した[3]。茨城県属、同警部、同理事官、同西茨城郡長、同那珂郡長を務めた[1]。1919年(大正8年)、朝鮮総督府事務官に転じ、忠清南道警察部長、朝鮮総督府監察官、警務局衛生課長、平安南道内務部長、慶尚南道内務部長、京畿道内務部長、京城府尹を歴任[3]。1930年(昭和5年)、咸鏡南道知事となり、1933年(昭和8年)に慶尚南道知事に転じた[1]。
1935年(昭和10年)に退官した後は、朝鮮石油株式会社常務取締役を務めた[3]。1939年(昭和14年)7月8日、脳溢血で療養中に朝鮮京城府南米倉町(現大韓民国ソウル特別市中区会賢洞)の自宅で死去、56歳[2][4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版(上)』人事興信所、1937年。