関帝廟 (常平村)
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関帝廟(かんていびょう)は、中華人民共和国山西省運城市塩湖区解州鎮常平村にある道教廟宇。廟に関羽を祭る。解州関帝廟から約10キロ離れている。
歴史
[編集]関帝廟は、隋唐時期(581年—907年)に創建された[1]。
明の成化12年(1476年)、嘉靖2年(1523年)と嘉靖9年(1530年)、関帝廟は地元の村民によって三回修復された[2]。
2006年5月25日、中華人民共和国国務院は関帝廟を全国重点文物保護単位に認定した。
建築物
[編集]関帝廟は山門、午門、享殿、関帝殿(崇寧殿ともいう)、娘娘殿、聖祖殿の6つの院落が中軸線上に並び、その両側に廂房、配殿、回廊がある。面積は6万平方メートルちかい。
ギャラリー
[編集]出典
[編集]- ^ 王興中 (2011年). “関羽信仰と常平関廟” (中国語). 文物世界 第5期.
- ^ 徐祚 (1515) (中国語). 解州常平里重修漢義勇武安王廟記. "距州东二十里为常平下冯村,王故里也。父老相传庙即王旧居,有塔屹立,袭称塔下为井。王初避难出亡时,其父母沉葬于内,后人因为起塔以表之。惜史传失记,郡志无征。塔上嵌片石,知在金大定十七年,本庄社人王兴重修。庑下列断碑,知入国朝,一修于成化丙申,再修于嘉靖癸未,继修于庚寅,皆乡民私葺,官不与知焉。视篆后,往来经常平,祗谒王祠,乃知祠旧在塔前。嘉靖初,巡按侍御王公秀竖石为坊,榜曰“关王故里”。后来君子以为坐背考妣非宜,乃改庙南向,前面中条山,后倚鹾池,挹灵吞秀,于义尤当。乃巡盐侍御尚公维持,发公帑金以倡,侍御宋公仪望,继有所助。而前解守张侯习、判官王子大用各捐金以相其成。但故里之坊,犹未移置,居塔前。维正殿苟完,而寝宫未辟,殊为阙典。余因出赎罪金及谷米之类,为工食费,召匠增修,历三时而后底绩,乃移石坊于前衢。外为大门四楹,耳门各二楹,入门稍东即称古塔也。中建虚榭,以为乡民伏腊陈献之所。正殿六楹,缭以回廊,环列一十五柱。东西建庑各十楹,绘王神绩。后为寝宫四楹,缭以十二柱,金碧辉煌,谒者改观。"