コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

関屋智義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
関屋 智義
ニッセイ軟式野球部 監督 #30
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県名古屋市天白区
生年月日 (1979-10-18) 1979年10月18日(45歳)
身長
体重
185 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 遊撃手投手
プロ入り 1997年 ドラフト3位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
  • ニッセイ軟式野球部

関屋 智義(せきや ともよし、1979年10月18日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手内野手)。

来歴・人物

[編集]

中学3年夏にはボーイズリーグ・東名古屋スターズで全国準優勝[1]愛知高校では2年夏の県大会準優勝。1997年ドラフト会議にて横浜ベイスターズから3位指名を受け入団。

入団当初は投手で、入団2年目の1999年には二軍イースタン・リーグ)で4勝(6敗)を挙げ、将来の主力投手として期待されていた。二軍のチーム名が「湘南シーレックス」になった2000年にはオープン戦の開幕投手に指名されたが、重度の腰痛でシーズンを棒に振ってしまい、オフに手術した。2001年のシーズン終盤に投手として復帰したが、2002年9月に内野手転向(遊撃手)。しかし、同年10月に戦力外通告を受けた。

その後は中日ドラゴンズ福岡ダイエーホークス千葉ロッテマリーンズのテストを受け、ダイエーのテストに合格・入団した。「野手転向したばかりでクビになるとは思わなかった。拾ってくれたダイエーに恩返ししたい」とコメントを残している。しかし、2003年年8月の広島東洋カープ戦でホーム突入の際、靭帯断裂の大怪我を負う。10月にトレード要員であることを告げられ、そのまま自由契約になり現役引退[2]

引退後、トヨタ自動車の営業、芸能事務所のマネージャーなどの仕事を経て、2006年に愛知県に帰郷し佐川急便に入社。中京支社軟式野球部で内野手として2年間プレーし、天皇賜杯全日本軟式野球大会に出場した。その後2008年から愛知県安城市ニッセイに転職、同社の軟式野球部でプレー。天皇賜杯全日本軟式野球大会国民体育大会に出場し2008年の大分国体では同チームの準優勝に大きく貢献した。

2012年シーズン限りで同社の野球部を引退、現在は社業に就いている。 2019年11月に同社の軟式野球部の監督に就任した。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
  • 一軍公式戦出場なし

背番号

[編集]
  • 33 (1998年 - 2001年)
  • 58 (2002年)
  • 53 (2003年)

脚注

[編集]
  1. ^ 1998年プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社
  2. ^ 球団事務所のゴミ箱に捨てたトライアウトの書類 関屋智義 - WEDGE 2015年6月25日付

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]