関口八兵衛
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関口 八兵衛(せきぐち はちべえ、1850年(嘉永3年7月[1])- 1912年(明治45年)1月21日[1])は、明治時代の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]木村寿山の子として水戸城下に生まれ、1870年(明治3年)常陸国信太郡鳩崎村(茨城県信太郡鳩崎村、稲敷郡鳩崎村、江戸崎町を経て現稲敷市)の先代・関口八兵衛の養子となり家督を相続する[2]。漢学を修めた[1]。1882年(明治15年)鳩崎村外2箇村戸長となり、1884年(明治17年)同職を辞し、翌年の1885年(明治18年)茨城県会議員に当選するが辞退した[2]。醤油醸造業に従事する傍ら、1888年(明治21年)為替回漕会社を江戸崎町に興し、1889年(明治22年)には煉瓦製造場を設立した[2]。同年『常総雑誌』を発刊し政治活動に奔走する[2]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では茨城県第6区から出馬し当選[1]。議員集会所に所属し衆議院議員を1期務めた[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 木戸照陽 編『日本帝国国会議員正伝』田中宋栄堂、1890年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。