間宮鉄太郎
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時代 | 江戸時代末期 - 大正時代 |
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生誕 | 1831年(天保2年)7月15日 |
死没 | 1915年(大正4年) |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 徳川家茂、慶喜、家達 |
間宮 鉄太郎(まみや てつたろう 鉄次郎とも、1831年(天保2年)7月15日 - 1915年(大正4年))は、日本の武士、剣術家。
略歴
[編集]江戸幕府旗本田辺十左衛門の次男として江戸番町に生まれる。17歳のとき旗本間宮兵庫の養子となる。幼時より武術を修行し、剣術は杉浦藤右衛門勝政に就いて忠也派一刀流を修める。幕末期に講武所剣術教授を務め、戊辰戦争出征。明治維新後は静岡に入植し遠州地方の剣術普及に尽くした。
年譜
[編集]- 1856年(安政3年)4月、講武所剣術世話心得。
- 1857年(安政4年)1月、忠也派一刀流免許皆伝。道場教導館を開く。
- 1861年(文久元年)4月、幕府奥詰(将軍親衛隊)出仕。将軍徳川家茂上洛警護。
- 1864年(元治元年)9月、講武所剣術教授方。
- 1866年(慶応2年)、将軍徳川家茂上覧演武。
- 1868年(慶応4年)、戊辰戦争鳥羽・伏見の戦いで幕府陸軍大砲組を指揮。
- 1868年(明治元年)、徳川家達に従い静岡藩三方原入植。
- 1895年(明治28年)、大日本武徳会第1回精錬証を授かる。