開雲寺
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開雲寺 | |
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所在地 | 栃木県下野市石橋284-1 |
位置 | 北緯36度26分15.1秒 東経139度51分53.8秒 / 北緯36.437528度 東経139.864944度座標: 北緯36度26分15.1秒 東経139度51分53.8秒 / 北緯36.437528度 東経139.864944度 |
山号 | 石橋山 |
院号 | 阿弥陀院 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 天応元年(781年) |
開山 | 恵雲 |
中興年 | 文亀2年(1502年) |
中興 | 多功満朝 |
文化財 | 木造阿弥陀如来坐像(栃木県指定有形文化財) |
公式サイト | 開雲寺のホームページヘようこそ |
法人番号 | 1060005005285 |
開雲寺(かいうんじ)は、栃木県下野市にある真言宗智山派の寺院。
歴史
[編集]781年(天応元年)、恵雲(下野薬師寺戒壇院五世)によって開山された[1]。元々は塔ノ下(現・同市下古山)に位置し、薬師如来を本尊とする「瑠璃光院東光寺」という名称であった[2]。
1502年(文亀2年)、宇都宮成綱の命により多功満朝は当寺を現在地に移転し、本尊を阿弥陀如来に変更し「開雲寺」に改称した[2][1]。
江戸時代、将軍の日光社参の休憩場所に指定された[3]。1649年(慶安2年)、宇都宮藩藩主奥平忠昌は将軍の休憩所として御殿を建てている[2][1]。
1876年(明治9年)、明治天皇の行幸に際しても、休憩所となっている[2]。
文化財
[編集]- 木造阿弥陀如来坐像(栃木県指定有形文化財 1971年〔昭和46年〕2月16日指定)[4]:本尊[1]。南北朝時代の作とされる[1]。
- 葵紋入りの茶釜:日光社参に関連するものとされる[1]。非公開[1]。
- 梵鐘(下野市指定有形文化財〔工芸品〕):宝暦8年(1758年)の作[5]。上部に刻まれた梵字が珍しいもので、鐘の音が優れていたため、戦中の金属供出を免れた[5]。本来の開雲寺の梵鐘は源頼朝から寄付されたものであったが、奥平忠昌が寛文3年(1663年)の徳川家綱の日光社参に合わせて宇都宮城へ持っていったと、寺は代官所へ届け出ている[5]。
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 栃木県歴史散歩編集委員会 編 編『栃木県の歴史散歩』山川出版社〈歴史散歩⑨〉、350頁。ISBN 978-4-634-24609-6。