開通県
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中華民国 遼寧省 (中華民国)省 開通県 | |
← 1904年 - 1958年 → | |
簡体字 | 開通 |
繁体字 | 开通 |
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拼音 | Kāitōng |
カタカナ転記 | カイトン |
国家 | 中華民国 |
省 | 遼寧省 (中華民国) |
行政級別 | 県 |
政府所在地 | 富平鎮 |
建置 | 1904年 |
廃止 | 1958年 |
面積 | |
- 総面積 | km² |
人口 |
開通県(かいつう-けん)は中華人民共和国吉林省にかつて存在した県。
歴史
[編集]清代は科爾沁右翼前旗の游牧地とされた。1904年(光緒30年)7月4日、盛京将軍の奏准により、洮南府東南120里の哈拉烏蘇に開通県が設置され、翌年10月5日、七井子(現在の富平鎮)で県署による行政事務が開始された。
中華民国が成立すると、1914年(民国3年)6月に奉天省洮昌道の管轄とされ、1929年(民国18年)2月、道制の廃止に伴い遼寧省の直轄とされた。
1932年(大同元年)、満州国が成立すると奉天省の管轄とされたが、1934年(康徳元年)12月に新設された竜江省に移管されている。
1945年(民国34年)、日本の敗戦と満州国の崩壊に伴い中華民国は施政権を回復したが、まもなく始まった国共内戦の結果、開通県は中国共産党の解放区とされ、嫩江省の管轄とされ、1946年1月に吉江行政区、3月に嫩南行政区、5月に嫩江省、6月に遼吉行政区、1947年1月に遼北省、1948年7月に嫩江省、1949年5月に黒竜江省に移管されている。
1954年9月15日、吉林省に移管され白城専区の管轄とされた。1958年11月21日、開通県は瞻楡県と合併し通楡県が誕生した。
参考文献
[編集]- 『二十四史』中華書局
- 『復旦大学中国歴史地名大辞典』(復旦大学出版社)
- 『中国古今地名対照表』(上海辞書出版社)
中国地名の変遷 | |
建置 | 1904年 |
使用状況 | 1958年に廃止 |
清 | 開通県 |
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中華民国 | 開通県 |
満洲国 | 開通県 |
国共内戦期間 | 開通県 |
現代 | 廃止 |