開善寺 (本庄市)
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開善寺 | |
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所在地 | 埼玉県本庄市中央2-8-26 |
位置 | 北緯36度14分31.6秒 東経139度11分12.7秒 / 北緯36.242111度 東経139.186861度座標: 北緯36度14分31.6秒 東経139度11分12.7秒 / 北緯36.242111度 東経139.186861度 |
山号 | 畳秀山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 観音菩薩 |
創建年 | 天正19年(1591年) |
開山 | 救山宗温 |
開基 | 小笠原信嶺 |
文化財 | 絹本着色清拙正澄画像(埼玉県指定有形文化財)、紙本着色武田信玄公画像、開善寺境内絵図、小笠原信之の墓(以上、本庄市指定文化財) |
公式サイト | 開善寺 |
法人番号 | 7030005009036 |
開善寺(かいぜんじ)は、埼玉県本庄市にある臨済宗妙心寺派の寺院。武州本庄七福神めぐりの布袋尊を祀る[1]。
歴史
[編集]1591年(天正19年)、小笠原信嶺の開基である。信嶺は前年に主君の徳川家康より本庄領1万石を封ぜられた。そして信嶺自身の菩提寺として創建したのが当寺の起源である。寺号の「開善寺」は、父の信貴が再興した開善寺(長野県飯田市)に由来する。小笠原氏はその後も転封を繰り返し、最終的に越前勝山藩に落ち着き、勝山にも開善寺を創建している[2]。
江戸時代の境内はかなり広く、南と東は仲町愛宕神社があるところまで、西は第二トキワ座通りまでが当寺の境内であった。明治以降に十分の一に縮小した[2]。
当寺の墓地には、開基の信嶺と養子の信之の墓がある[3][2]。
文化財
[編集]- 絹本着色清拙正澄画像(埼玉県指定有形文化財 昭和30年11月1日指定)[4]
- 紙本着色武田信玄公画像(本庄市指定文化財)[5]
- 開善寺境内絵図(本庄市指定文化財)[5]
- 小笠原信嶺夫妻の墓(本庄市指定文化財)[6]
- 小笠原信之の墓(本庄市指定文化財)[6]
交通アクセス
[編集]- 本庄駅より徒歩10分。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 長谷川勇 著『開善寺≪本庄≫(さきたま文庫29)』さきたま出版会、1991年