門野重九郎
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門野 重九郎(かどの じゅうくろう[1]/ちょうきゅうろう[2]、1867年10月6日(慶応3年9月9日[1][2]) - 1958年(昭和33年)4月24日[1][2])は、明治から昭和時代前期の実業家。実兄に千代田生命保険、日本徴兵保険創立者兼社長で勅撰貴族院議員の門野幾之進がいる。
経歴
[編集]志摩鳥羽藩の家老・門野亘理の二男として鳥羽(現三重県鳥羽市)に生まれる[3]。1884年(明治17年)慶應義塾大学部理財学および法律学を修了後、1891年(明治24年)帝国大学工科大学土木工学科を卒業し、アメリカのペンシルバニア鉄道に入る[1]。4年間に渡る鉄道敷設工事に従事したのち退社し、欧米の工業事情を視察後、1896年(明治29年)帰朝した[1]。山陽鉄道で新線工事長として勤務後[4]、大倉喜八郎の知遇を得て、1897年(明治30年)大倉組に入り、ロンドン支店長を長く務めたのち1909年(明治42年)に大倉組副頭取、1914年(大正3年)大倉土木(現大成建設の前身)会長となり、1937年(昭和12年)まで在任した[1]。
ほか、東京商工会議所会頭、日本商工会議所会頭、上毛電気鉄道、南朝鮮鉄道、山東鉱業など多くの会社重役を務め、国際経済会議、国際商業会議などの国際会議にも参加した[1][5]。河村瑞賢を崇敬し、鎌倉の建長寺の保存に私財を投じ、河村瑞賢墳墓保存会代表となり、1934年(昭和9年)には「河村瑞賢追憶碑」を建立した[1]。墓所は青山霊園(1イ15-13)。
著作
[編集]- 『平々凡々九十年』実業之日本社、1956年。
栄誉
[編集]親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 釈宗演『欧米雲水記』金港堂、1907年。
- 三田商業研究会 編『慶応義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。
- 高橋裕、藤井肇男 共著『近代日本土木人物事典: 国土を築いた人々』鹿島出版会、2013年。ISBN 4306094294。