門脇黙一
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門脇 黙一(かどわき もくいち、1890年(明治23年)3月17日[1] - 没年不詳)は、日本の内務官僚。朝鮮総督府官僚。
経歴
[編集]広島県世羅郡三川村(現:府中市)出身[1]。1911年(明治44年)、旧制修道中学校(現:修道中学校・高等学校)を卒業[2]。広島県佐伯郡書記を経て、内務属として内務省に入省[1]。1923年(大正12年)に高等試験行政科に合格し、岐阜県養老郡長、岐阜県社事兵事課長を務めた[1]。1928年(昭和3年)より朝鮮総督府に転じ、忠清北道学務課長、同地方課長、馬山府尹、京畿道内務課長、平壌専売支局長、大邱府尹、全羅北道内務部長、京城地方専売局長などを歴任した[1][2]。
1939年(昭和14年)に退官した後は、朝鮮海苔株式会社社長を務めた[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 輓近大日本拓殖史 1934.
- ^ a b c 大衆人事録 1943.
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。
- 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。