コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

門司停留場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
門司停留場
もじ
MOJI
(0.3 km) 東本町
所在地 福岡県北九州市門司区東本町二丁目
北緯33度57分3.9秒 東経130度58分2.3秒 / 北緯33.951083度 東経130.967306度 / 33.951083; 130.967306座標: 北緯33度57分3.9秒 東経130度58分2.3秒 / 北緯33.951083度 東経130.967306度 / 33.951083; 130.967306
所属事業者 西日本鉄道
所属路線 北九州本線
キロ程 0.0 km(門司起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1914年大正3年)4月2日
廃止年月日 1985年昭和60年)10月20日
テンプレートを表示

門司停留場(もじていりゅうじょう)は、かつて福岡県北九州市門司区東本町二丁目にあった、西日本鉄道(西鉄)北九州本線停留場廃駅)である。

概要

[編集]

旧門司と呼ばれる、古くからの門司地区市街地付近に位置していた。開設当初は「東本町六丁目」と称し、その後「八幡橋」を経て「門司」に改称した[1]

当駅は、国鉄鹿児島本線門司港駅門司駅とは全く異なる位置にあり、直接の接続はなかった。門司港駅の最寄り停留場は桟橋通、門司駅の最寄り停留場は門司駅前であった。

歴史

[編集]

駅構造

[編集]

降車場と乗車場をそれぞれ別に有していた。本線の終端部は上り本線に下り本線が合流する形で1線に収束しており、降車場はこの部分に設けられていた。乗車場は下り本線が上り本線から分岐した直後の下り本線側の位置にあった。安全地帯は乗車場のみに設けられ、降車場は路上の白線表示のみだった[3]

乗車場よりやや東本町寄りの位置で、上り本線から引込線が分岐し、当駅の道路西側の敷地に引き込まれていた。敷地内は電車1-2両を収容できる留置線となっており、道路に面した入口には操車所・乗務員待機所が設けられ、操車係も配置されていた[4]。当駅は最寄りの車庫である砂津車庫からも約11kmと離れており、留置線は終電→初電となる電車の滞泊[5] や、運行間隔調整のための車両留置などに使用された。

駅周辺

[編集]

廃止後の状況

[編集]

路面上の降車場と乗車場については、廃止後は完全に撤去され、残存していない。

道路西側にあった留置線の跡は駐車場となっている。また、操車所・乗務員待機所の入っていた建物の跡には、西鉄バスの定期券販売・案内所が設けられている。

1985年(昭和60年)10月21日 当停留場廃止に伴い、「東本町二丁目」バス停留所を新設。同日に運行開始した電車代替バス(当時は90番、91番)の大半ならびに、めかり行き(当時は4番)が停車。

隣の駅

[編集]
西日本鉄道
北九州本線
門司停留場 - 東本町停留場

脚注

[編集]
  1. ^ 『福岡・北九州 市内電車が走った街 今昔』 p.91
  2. ^ 成立の経緯は西日本鉄道#歴史を参照。
  3. ^ 降車場については、本来の降車場に電車が入線中に後続電車も降車扱いができるよう、上下線の分岐点のすぐ東本町寄りにも白線表示が設けられていた。
  4. ^ 「追跡風土記 西鉄北九州線をゆく(1)」
  5. ^ 『福岡・北九州 市内電車が走った街 今昔』 p.92

参考文献

[編集]
  • 奈良崎博保 「追跡風土記 西鉄北九州線をゆく(1)」 『鉄道ジャーナル』1971年9月号(No.53)、鉄道ジャーナル社、pp. 70–79
  • 奈良崎博保 『福岡・北九州 市内電車が走った街 今昔』 JTBパブリッシング、2002年4月、ISBN 4-533-04207-4

関連項目

[編集]