長野吉業
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長野 吉業(ながの よしなり、享禄4年(1531年)-天文15年(1546年))は戦国時代前期の武将。上野国箕輪城主長野業正の長男で、母は沼田顕泰の娘・室は長尾景誠の娘と推定される[1]。弟に氏業(業盛)がいる。
父とともに山内上杉氏に従って後北条氏と戦ったが、河越夜戦の傷が元で没したとされる。享年16。また、室も婚姻後女子を儲けたが、直後に病死したという。
脚注
[編集]- ^ 白井長尾氏の旧臣が残した「永井権兵衛書状」によれば、長尾伊玄(景春)の娘が“永野信濃守様の御惣領永野五郎”に嫁ぐとあり、同氏の系譜を記した「長尾正統系譜」には長尾景英(景春の嫡男)の娘が“長野業正嫡男長野右京妻”であったと記されている。通説では、永野右京=長野左京は業正の跡を継いだ氏業(業盛)と考えられてきたが、景春・景英の生没年と氏業の生没年が大きくずれる(氏業は景英死去の16年後の誕生)ため、長野氏・白井長尾氏の婚姻は夫妻ともに比定が誤っているとみられている。黒田基樹は、長尾景誠の娘(景春には曾孫・景英には孫にあたる)が、当時健在だった長野吉業に嫁いだのが誤伝されたと推定するのが妥当としている。
参考文献
[編集]- 黒田基樹 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第一巻 長尾景春』(戒光祥出版、2010年)ISBN 978-4-86403-005-2 P15