コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

長野庬士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長野厖士から転送)

長野 庬士(ながの あつし、1944年3月20日 - )は、日本の元大蔵官僚弁護士西村あさひ法律事務所パートナー血液型はB型[1]

来歴

[編集]

1959年東京都立新宿高等学校に入学。同級生からは「学年で5・6番目の成績だったが、単なるガリ勉タイプではなかった」といわれている[2]東京大学法学部卒業。東大在学中に国家公務員上級甲種試験(法律職)にトップで合格(岡田康彦増渕稔と同点)し、司法試験にも2位で合格。東大法学部の成績も良がわずか1つ(財政学)だった[3]1966年 大蔵省入省。大臣官房文書課配属。以後、大臣官房調査企画課経済企画庁出向、豊岡税務署長関税局企画課長補佐、銀行局総務課長補佐、同銀行課長補佐、大臣官房調査企画課長補佐、主計局主計官補佐(通産係主査)、外務省在イギリス大使館参事官、蔵相秘書官を歴任。

税制改正が盛んだった80年代後半辺りには主税局で課長職を務める。1990年6月 主税局総務課長。1991年6月 大臣官房文書課長。1992年6月 近畿財務局長。1993年7月 銀行局担当審議官バブル崩壊金融機関の経営問題が焦眉の急になり始めた時期であり、近畿財務局長で関西系金融機関の監督に当たっていた長野が抜擢された。同時に主計局次長だった武藤敏郎中島義雄とともに事務次官の有力候補と見られていた[4]1996年1月 証券局長。金融改革期の金融ビッグバンを主導、山一證券の破綻処理に関わるなど、大蔵省が扱う実務の最前線で活動。将来を嘱望されていたが、大蔵省接待汚職事件に絡んで接待を受けていたことが批判をあび、1998年に減給処分を受けて退職した。その後、司法修習(第53期)を経て弁護士となり、西村あさひ法律事務所でパートナーを務める。

略歴

[編集]

同期入省者

[編集]

同期に中山恭子中山成彬武藤敏郎東京五輪・パラリン大会組織委員会事務総長、日銀副総裁、初代財務事務次官主計局長)、阪田雅裕(内閣法制局長官)、岡田康彦環境事務次官弁護士)、中島義雄(財政金融研究所長、主計局次長)、佐藤謙久保田勇夫国土事務次官関税局長)、塩田薫範公正取引委員会事務総長)、剣持宣揚(大臣官房審議官)、新村淳一(弁護士)など。

脚注

[編集]
  1. ^ 『日本の官庁,その人と組織:大藏省』政策時報社、1993年発行、183頁
  2. ^ 文藝春秋 第76巻』1998年発行、177頁
  3. ^ 岸宣仁『財務官僚の出世と人事』文春新書、2010年8月発行、62頁
  4. ^ 岸宣仁『財務官僚の出世と人事』文春新書、2010年8月発行、56頁
  5. ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1971年発行、197頁
  6. ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1976年発行、479頁
  7. ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1977年発行、484頁
  8. ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1978年発行、489頁
  9. ^ 株式会社マルハニチロホールディングス第6期有価証券報告書

外部リンク

[編集]
官職
先代
日高壮平
大蔵省証券局長
1996年 - 1998年
次代
山本晃
(心得)
先代
高橋厚男小山嘉昭
大蔵省大臣官房審議官銀行局担当)
花野昭男と共同
1993年 - 1995年
次代
永田俊一中井省
先代
竹島一彦
近畿財務局
1992年 - 1993年
次代
伏屋和彦
先代
日高壮平
不在
大蔵省大臣官房文書課長
1991年 - 1992年
次代
伏屋和彦
先代
薄井信明
大蔵省主税局総務課長
1990年 - 1991年
次代
黒田東彦