長谷川真太郎
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長谷川 真太郎(はせがわ しんたろう、1916年 - ?)は、日本の牧師、神学者。長谷川真[1]とも言う。
経歴
[編集]無教会派の信徒の長谷川周治の息子として、東京府に生まれる。渡米して、ハンプデン・シドニー大学とフェイス神学校を卒業する。留学中に、フィラデルフィア日本人キリスト教会を手伝う。日本の家族に書いた手紙が、「ひとり旅」と題されて、1942年に、父周治によって出版される。
第二次大戦後アメリカより帰国する。1947年父の自宅に堀ノ内キリスト教会を設立して初代牧師に就任する。1949年10月に自宅に東京基督神学校を設立して、学監[2]に就任する。
経営方針の違いから、1951年に東京基督神学校から、東京神学塾が分離独立して、長谷川が新設された東京神学塾の学長に就任する。尾山令仁、村瀬俊夫、泉田昭らを育てる。1954年堀ノ内キリスト教会牧師を退任する。
早稲田大学講師をも務める。1956年から2年間、イスラエルに留学、ヘブライ大学・スウェーデン神学院に所属する。イスラエルでユダヤ教に傾倒する。帰国後、1958年に東京神学塾を解散する。そして、再び1961年にもイスラエルに留学する。帰国後ユダヤ教についての本を著す。
長年東海大学教授を務めて、ワシントン大学[要曖昧さ回避]の客員教授をも務める。東洋大学より社会学博士を授与される。
脚注
[編集]- ^ 中村敏は『日本における福音派の歴史』(2000年)で長谷川真太郎(p.202-p.203)と記している。しかし、羽鳥明は『イエスはわがいのち』(1992年)では長谷川真(p.123)と書かれている。名前の表記については双方の意見がある。
- ^ 中村敏(2000年),202
著書
[編集]参考文献
[編集]- 中村敏『日本における福音派の歴史』