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長谷川基

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長谷川 基
生誕 1884年10月26日
日本の旗 日本 島根県
死没 (1960-04-24) 1960年4月24日(75歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1912年 - 1944年
最終階級 陸軍中将
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長谷川 基(はせがわ はじめ、1884年明治17年)10月26日[1] - 1960年昭和35年)4月24日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[2]

経歴

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1884年(明治17年)に島根県で生まれた[1]。兵卒から陸軍教導団を経て[3]陸軍士官学校第29期に進み[1]陸軍大学校第31期を卒業した珍しい経歴の人物である[1][3]1935年(昭和10年)に陸軍省整備局統制課高級課員に就任[2]1936年(昭和11年)3月7日陸軍歩兵大佐進級と同時に陸軍省整備局動員課長に就任し[2]8月1日には戦備課長に転じた[2]1938年(昭和13年)に支那駐屯歩兵第1連隊長に就任し[2]日中戦争に出動した[1]

1939年(昭和14年)3月9日に陸軍少将に進級し[2]留守第1師団司令部附となる[1]5月19日陸軍兵器本廠附を経て[1]、同年5月10日に設立していた陸軍燃料廠の初代廠長に7月1日に就任した[1][3]。陸軍内には燃料の専門家が一人もいなかったことから[4]田中芳雄矢木栄児玉信次郎磯部甫中原延平玉置明善などの燃料関係の学者・技術者からなる顧問会議を設置し、技術指導を受けることとした[5]。さらに長谷川は、優秀な技術将校を前線に送ることなく、本土で温存することに注力している[6][7][8]。その技術将校は戦後日本の復興に多大な貢献を残している[9]1941年(昭和16年)10月15日に陸軍中将に進級[2]1944年(昭和19年)11月11日に待命[1]12月1日予備役に編入された[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[10]

栄典

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勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 福川 2001, 576頁.
  2. ^ a b c d e f g 外山 1981, 312頁.
  3. ^ a b c 石井 2003, 79頁.
  4. ^ 石井 2003, 81頁.
  5. ^ 石井 2003, 82頁.
  6. ^ 石井 2003, 144頁.
  7. ^ 石井 2003, 151頁.
  8. ^ 石井 2003, 152頁.
  9. ^ 石井 2003, 153頁.
  10. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」21頁。
  11. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  12. ^ 『官報』第4456号「叙任及辞令」1941年11月14日。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 石井正紀 著『陸軍燃料廠 : 太平洋戦争を支えた石油技術者たちの戦い』光人社、2003年。ISBN 4769823819