長谷川万吉
長谷川 万吉(はせがわ まんきち、1893年(明治26年)11月3日[1][注釈 1] - 1970年(昭和45年)7月14日)は、日本の地球物理学者。京都大学名誉教授。
経歴
[編集]新潟県西蒲原郡漆山村(現・新潟市西蒲区)出身[1]。1916年(大正5年)広島高等師範学校卒業後、熊本県立済々黌中学の理科教師となるが1年で退職し、1917年(大正6年)広島高等師範学校研究科に入るが4カ月で中退。1921年(大正10年)京都帝国大学(現京都大学)理学部卒業。1924年(大正13年)同大学助教授。1928年(昭和3年)にドイツに留学し、ポツダムの地球物理学研究所で研究に当たる。1930年(昭和5年)8月にストックホルムで開催された国際測地学・地球物理学連合総会に参加した後、11月に帰国[1]。1937年(昭和12年)7月、京都大学 理学博士「On the progressive change of the field of diurnal variations of terrestrial magnetism(地磁気の日周変化の磁場の進行的変形に就て)」、8月に教授に就任。1944年(昭和19年)から1945年(昭和20年)には学術研究会議戦時研究班の班長を務めた[1]。1950年(昭和25年)に地磁気日変化の解析的研究で学士院賞受賞。1950年(昭和25年)から1951年まで京都大学理学部長を務めた後、1957年(昭和32年)に定年退官[1]。
その後、1958年(昭和33年)に福井大学学長、1965年(昭和40年)に徳島大学学長・日本学士院会員に就任。また日本地球電気磁気学会初代委員長、国際地球観測年日本代表委員長を歴任。1966年(昭和41年)勲二等旭日重光章を受章。1970年(昭和45年)7月14日、肺性心のため死去[1]。
長男は京都大学教授で、宇宙物理学(赤外線天文学)を研究した長谷川博一。
著書
[編集]伝記
[編集]- 細山謙之輔『長谷川万吉』巻町役場〈巻町双書 第22集〉、1975年3月。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]外部リンク
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