長窪城
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長窪城 (長野県) | |
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別名 | 深山城、霞の尾城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 大井氏?、芦田氏? |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 大井貞隆、武田氏、真田氏 |
廃城年 | 1583年(天正11年) |
遺構 | 曲輪 |
指定文化財 | 町指定史跡 |
位置 | 北緯36度16分13.1秒 東経138度16分07.3秒 / 北緯36.270306度 東経138.268694度 |
地図 |
長窪城(ながくぼじょう)は、長野県小県郡長和町長久保にあった日本の城。長和町指定史跡[1]。
概要
[編集]室町時代の応永年間に、大井氏、または芦田氏(依田氏)によって築かれたといわれている。
大井氏一族が長窪氏を名乗り、城主となった。戦国時代の天文12年(1543年)、甲斐の武田晴信(信玄)の軍に攻められた。相木昌朝や芦田信守が内応したため、城主の大井貞隆は降伏した。
武田氏の支配となった長窪城は、武田氏が北信濃に進出するための重要な拠点となった。
信玄が長窪城に着陣し、東・北信濃を攻略したのは、天文17年(1548年)の上田原の戦い・天文19年(1550年)の砥石城(戸石城)攻略・天文22年(1553年)和田城、高鳥屋城、塩田城の攻略と3回あったようである。
天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると、小県郡は真田昌幸の領地となり、天正11年(1583年)昌幸が上田城を築くと、長窪城は廃城となった。