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長砂2号墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長砂2号墳 / 長砂の石棺

横口式石槨開口部
所属 長砂古墳群
所在地 岡山県総社市久代
位置 北緯34度40分35.57秒 東経133度41分44.00秒 / 北緯34.6765472度 東経133.6955556度 / 34.6765472; 133.6955556座標: 北緯34度40分35.57秒 東経133度41分44.00秒 / 北緯34.6765472度 東経133.6955556度 / 34.6765472; 133.6955556
形状 方墳
規模 一辺9m
埋葬施設 横口式石槨
築造時期 7世紀
史跡 なし
地図
長砂2号墳の位置(岡山県内)
長砂2号墳
長砂2号墳
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長砂2号墳(ながさこにごうふん)または長砂の石棺(ながさこのせっかん)は、岡山県総社市久代(くしろ)にある古墳。形状は方墳。長砂古墳群を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。

概要

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岡山県南部、新本川中流域北岸の丘陵端(標高約40メートル)に築造された小方墳である[1]。現在までに墳丘周囲は開墾等により改変され、石槨前面は崩落して崖状になっている[2]。発掘調査は実施されていない。

墳形は方形で、一辺約9メートルを測る[3][1]。埋葬施設は横口式石槨で、南方向に開口する。岡山県内では唯一の横口式石槨であり、石槨部(石棺)には兵庫県加古川市の竜山石が使用される点でも注目される。副葬品は詳らかでない。

築造時期は、古墳時代終末期7世紀代と推定される[3]。岡山県内における後期古墳の最後を飾る古墳であるとともに[3]、一帯は古代下道郡の一角にあたり、古代氏族の下道氏との関連が示唆される[1]

埋葬施設

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石槨俯瞰図
石槨展開図

埋葬施設としては横口式石槨が構築されており、南方向に開口する。小口を開けた石棺に短い羨道が取り付く構造である。石槨の規模は次の通り[4]

  • 石槨部(石棺):長さ2.03メートル、幅0.86メートル、高さ0.57メートル
  • 羨道:長さ2.45メートル、幅1.3メートル、高さ1.2メートル

石槨部は、兵庫県加古川市の竜山石製の刳抜式石棺で、小口の一方を開口する。小口を閉塞した蓋板は、周辺の石碑の台石に転用されている[3](石碑の安永4年(1775年)銘より、それ以前に石槨の発掘か[2])。羨道の石材は花崗岩の割石[3]。『吉備郡史』では、石棺の蓋石は屋根形を呈し、石棺と羨道の接続部の羨道側石には漆灰が見られたとするが、いずれも現在では詳らかでない[1]

脚注

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  1. ^ a b c d 長砂の石棺(平凡社) 1988.
  2. ^ a b 岡山県史 第18巻 考古資料 1986.
  3. ^ a b c d e 総社市史 考古資料編 1987.
  4. ^ 『長砂古墳群』 総社市埋蔵文化財発掘調査報告5、総社市教育委員会、1987年(リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」)。

参考文献

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  • 「長砂二号墳」『岡山県史』 第18巻 考古資料、岡山県、1986年。 
  • 「長砂2号墳」『総社市史』 考古資料編、総社市、1987年。 
  • 「長砂の石棺」『岡山県の地名』平凡社日本歴史地名大系34〉、1988年。ISBN 4582490344 

関連項目

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