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長瀬村 (鳥取県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ながせそん
長瀬村
廃止日 1953年4月1日
廃止理由 新設合併
長瀬村浅津村橋津村宇野村羽合町
現在の自治体 東伯郡湯梨浜町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
東伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,450
国勢調査、1950年)
隣接自治体 橋津村、浅津村、花見村上井町中北条村
長瀬村役場
所在地 鳥取県東伯郡長瀬村
座標 北緯35度29分24秒 東経133度51分53秒 / 北緯35.48992度 東経133.86469度 / 35.48992; 133.86469 (長瀬村)座標: 北緯35度29分24秒 東経133度51分53秒 / 北緯35.48992度 東経133.86469度 / 35.48992; 133.86469 (長瀬村)
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長瀬村(ながせそん[1][2])は、鳥取県東伯郡にあった。現在の東伯郡湯梨浜町の一部にあたる。

地理

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天神川の下流に発達した砂丘地帯の東部に位置していた[2]

歴史

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  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、河村郡田後村、水下村、長瀬宿、久留村が合併して村制施行し、長瀬村が発足[1][2]。旧村名を継承した田後、水下、長瀬宿、久留の4大字を編成[2]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]
  • 1953年(昭和28年)4月1日、東伯郡浅津村、橋津村、宇野村と合併し、町制施行し羽合町を新設して廃止された[1][2]。合併後、羽合町大字田後・水下・長瀬・久留となる[2]

地名の由来

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集落の南を流れていた旧天神川を長瀬川を称していたことから[2]

産業

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教育

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  • 1873年(明治6年)長瀬小学校開校[2]

名所・旧跡

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  • 長瀬高浜遺跡[2]

脚注

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  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』553頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』551-552頁。

参考文献

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関連項目

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