長沼鷺蔵
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長沼 鷺蔵(ながぬま さきぞう、1844年5月24日(天保15年4月8日) - 1934年(昭和9年)10月26日))は、広島県出身の実業家。旧名は主税之助(ちからのすけ)。
経歴
[編集]幼児期より国学を教えられ、長じて母方の伯父菅野肇(広島藩士)を頼って上京、洛西壬生の神影流間宮孫四郎に入門、目録を受け、帰郷して広島藩の師範細六郎について貫心流を学ぶ。
1867年(慶応3年)9月、回天軍第一起神機隊に入隊し関東・東北に従軍する。従軍中の1868年(慶応4年)5月15日の江戸上野にて彰義隊との戦闘の後、同隊分派の振武軍を追跡、武州黒山峠において振武軍中軍組頭渋沢平九郎と居合い、平九郎に重傷を与えた。
廃藩後は陸軍に移り、後に広島県警察に転じた。1880年(明治13年)退官、実業界に入る。
米綿取引所の開設、旅館業、海運業、鉄道事業、電気工事業等各種事業の経営にあたり、広島財界の重鎮として目された。
家族
[編集]孫の一人に元サッカー選手・日本代表選手、元日本代表監督の長沼健がいる。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 東広島郷土史研究会編『東広島の歴史』渓水社
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 株式会社 長沼電業社 長沼鷺蔵が1912年(明治42年)、広島電灯の電気工事代理店として広島市尾道町(現大手町)に長沼電工部として創業