長崎県立松浦高等学校鷹島分校
表示
長崎県立松浦高等学校鷹島分校 | |
---|---|
北緯33度26分8.8秒 東経129度45分28.1秒 / 北緯33.435778度 東経129.757806度座標: 北緯33度26分8.8秒 東経129度45分28.1秒 / 北緯33.435778度 東経129.757806度 | |
過去の名称 |
長崎県立長崎水産高等学校鷹島分校 長崎県立猶興館高等学校鷹島分校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長崎県 |
設立年月日 | 1950年(昭和25年)4月30日 |
閉校年月日 | 2006年(平成18年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒859-4305 |
長崎県松浦市鷹島町中通免1915番地 | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長崎県立松浦高等学校鷹島分校(ながさきけんりつまつうらこうとうがっこうたかしまぶんこう, Takashima Branch of Nagasaki Prefectural Matsuura High School)は、長崎県松浦市鷹島町にあった公立高等学校の分校。2006年(平成18年)に閉校した。
概要
[編集]- 歴史
- 1950年(昭和25年)に「長崎県立長崎水産高等学校鷹島分校」として開校。当初、定時制の水産課程(現・水産科)を設置していたが、長崎県立猶興館高等学校と長崎県立松浦高等学校への移管を経て、最終的には全日制課程 普通科の分校となり、2006年(平成18年)3月に閉校した。
- 校訓・校章・校歌
- 長崎県立松浦高等学校のものを共用。
沿革
[編集]- 長崎県立長崎水産高等学校 鷹島分校時代
- 1950年(昭和25年)
- 4月30日 - 長崎県立長崎水産高等学校鷹島分校(夜間定時制 水産課程)の設置が認可される。校舎は鷹島村立鷹島中学校のものを共用。
- 6月8日 - 開校式を挙行。修業年限を5ヶ年、定員を200名とする。週5日制(水曜・金曜定休)で、1日4時間(午後6:00から10:00)。2教室(中通・阿翁[1])で授業を開始。
- 水産関係の専門科目は長崎市の長崎水産高校本部から毎週派遣され、普通教科は鷹島中学校の教員が講師を兼任していた。
- 1951年(昭和26年)12月10日 - 鷹島分校振興会が発足。
- 1952年(昭和27年)- 夏季集合授業を長崎水産高校本部で実施。
- 1953年(昭和28年)- 第1回修学旅行を実施。目的地は京都府・東京都・日光市。
- 長崎県立猶興館高等学校 鷹島分校時代
- 1955年(昭和30年)
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 分校専用校舎の一部が完成。
- 1958年(昭和33年)4月1日
- 1961年(昭和36年)12月31日 - 運動場を拡張。
- 1964年(昭和39年)
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)
- 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、定時制課程を廃止。
- 1968年(昭和43年)
- 4月 - 1学級増で、1学年2学級となる。宿日直制度が廃止。
- 11月5日 - 第1回文化祭を実施。(6日間)
- 長崎県立松浦高等学校 鷹島分校時代
- 1969年(昭和44年)4月 - 移管により、「長崎県立松浦高等学校鷹島分校」(最終名)となる。
- 1970年(昭和50年)[いつ?]
- 3月 - 元・調理室と図書室を職員室に、元・職員室を普通教室に改造。
- 4月 - 各学年2学級、計6学級がそろう。
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)2月28日 - 体育館が完成。
- 1974年(昭和49年)
- 2月28日 - 学校敷地周辺の植樹を完了。
- 5月1日 - 新校舎が完成。
- 1977年(昭和52年)
- この頃 - 分校独立推進委員会が行われ、分校独立が検討されるも、実現には至らなかった。
- 12月 - 同窓会だより(第1号)を発行。
- 1979年(昭和54年)3月 - この時の卒業者数が過去最大の121名を記録する。
- 1980年(昭和55年)10月26日 - 前庭が完成。
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)5月1日 - 校内放送を開始。
- 1996年(平成8年)4月 - 鷹島町へALT(アシスタント・イングリッシュ・ティーチャー、外国人英語指導助手)の派遣が開始。
- 2000年(平成12年)10月14日 - 分校創立50周年記念式典を挙行。
- 2006年(平成18年)3月31日 - 閉校。56年の歴史に幕を下ろす。
学校行事
[編集]- 1学期
- 4月 - 入学式
- 5月 - 歓迎遠足
- 6月 - 校内弁論大会
- 7月 - 校内球技大会
- 8月 - 2年宿泊研修
- 2学期
- 9月 - 体育祭
- 10月 - 合唱コンクール
- 11月 - 文化祭
- 12月 - 校内球技大会
- 3学期
- 1月 - 校内マラソン大会
- 2月 - 予餞会
- 3月 - 卒業式
部活動
[編集]以下のクラブはかつて存在したことのあるものを表し、すべてが一度に存在していた時期はない。
- 運動部
- 文化部
- タイプ同好会
- ギター同好会
- 社会同好会
- 手芸同好会
- 写真愛好会
- 手作り愛好会
- 図書新聞愛好会
- 理科実験愛好会
- 放送愛好会
- 郷土文化クラブ
- パソコンクラブ
- 新聞クラブ
アクセス
[編集]- 最寄りの港
- 「殿之浦港」- 松浦市今福(本土)とを結ぶフェリーが鷹島汽船によって運航されている[5]。
- 最寄りのバス停
- 島内 - 松浦市営バス(旧・鷹島町営バス)「消防署前」バス停
- 本土から鷹島まで - 2009年(平成21年)4月の鷹島肥前大橋開通により、昭和バスが佐賀県唐津市肥前町(唐津市役所肥前支所)から松浦市役所鷹島支所の間に鷹島線を運行している。
- 最寄りの道路
周辺
[編集]- 松浦市立鷹島小学校
- 松浦市立鷹島中学校
- 松浦市立鷹島学校給食共同調理場
- 松浦市役所鷹島支所(旧・鷹島町役場)
- 松浦市消防本部鷹島出張所
- 鷹島歴史民俗資料館
- 石川地区多目的集会所
- 中通地区多目的集会所
- JAながさき西海鷹島支店
- 鷹島郵便局
- 蓮乗寺
脚注
[編集]- ^ 読みは「あおう」。
- ^ 2009年(平成21年)4月より鷹島肥前大橋でつながっている。
- ^ 越境通学 一番近い隣県の高校 ピーク時、佐賀から100人 - 佐賀新聞ウェブサイト
- ^ この当時、肥前町の周辺に高校がなく、同じ佐賀県内の高校に通学するには長距離通学か下宿をしなければならず、保護者が経済的な負担を強いられるため、許可されるようになった。ピーク時には肥前町から通う生徒が100人という時期もあったが、1974年(昭和49年)肥前町の隣町、玄海町に佐賀県立東松浦高等学校(現唐津青翔高等学校)が開校してから、鷹島分校へ通学する生徒数は減少した。
- ^ 一般旅客定期航路 - 松浦市福鷹商工会ウェブサイト