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長安君(ちょうあんくん、生没年不詳)は、後燕の成武帝慕容垂の3番目の妻(生別)。姓は可足渾氏。前燕の文明帝慕容儁の皇后(景昭皇后)の妹である。
前燕の光寿2年(358年)、慕容垂の最初の妻の段氏が、景昭皇后に冤罪を着せられ、拷問の末に死亡した。その後、慕容垂は段氏の妹と再婚した。しかし皇后は慕容垂を段氏の妹と離婚させ、自分の妹の長安君と結婚させた。慕容垂は怒りをつのらせ、兄帝夫婦との関係が一段と悪化した。
369年、慕容垂は段氏の妹や息子らと共に、前秦の苻堅の下へ亡命し、可足渾氏とは離別した。