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長井 秀元(ながい ひでもと)は、戦国時代の武将。美濃国の戦国大名斎藤道三の家臣。
『武家事紀』によると斎藤道三の3人いる弟のうちの一人とされ[1]、弟には斎藤龍興の重臣して著名な長井道利がいるという。
天文13年(1544年)尾張国の織田信秀が朝倉氏と結んで美濃を攻撃した際、秀元は道三の配下として活躍。この合戦で斎藤軍は織田・朝倉軍を撃退した(加納口の戦い)。その事を三河刈谷城の水野氏へ伝えている。
- ^ ただし同書は斎藤道三が一代で国盗りを行ったという説に基づいており、道三の事績とその父である長井新左衛門尉の事績を混同している。