長与町立高田小学校
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長与町立高田小学校 | |
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北緯32度48分35.4秒 東経129度51分10.678秒 / 北緯32.809833度 東経129.85296611度座標: 北緯32度48分35.4秒 東経129度51分10.678秒 / 北緯32.809833度 東経129.85296611度 | |
過去の名称 |
長与尋常高等小学校高田分教場 長与尋常高等小学校高田分校 長与村長与国民学校高田分校 長与村立長与小学校高田分校 長与村立高田小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長与町 |
校訓 | 夢・元気・心 |
設立年月日 | 1915年(大正4年)2月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210001303 |
所在地 | 〒851-2127 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長与町立高田小学校(ながよちょうりつ こうだしょうがっこう, Nagayo Town Koda Elementary School)は長崎県西彼杵郡長与町高田郷にある公立小学校。
概要
[編集]- 歴史
- 1915年(大正4年)に開校した「長与尋常高等小学校(現・長与町立長与小学校)高田分教場」を前身とする。2010年(平成22年)に創立95周年を迎えた。
- 校訓
- 「夢、元気、心」
- 校章
- 翼を背景にして、中央に「高田」の文字(縦書き)を配している。
- 校歌
- 作詞は関口政治、作曲は宗久弥による。3番まであり、各番に校名の「高田小学校」が登場する。
- 校区
- 住所表記で長与町の後に高田郷が続く地区で、長与町立長与小学校校区と長与町立長与南小学校校区(北陽台、日当野、東高田、下高田、南陽台、サニータウン、川平有料道路長与橋から東側の西高田、フォーレツインキャッスル)以外の場所[1]。
- 中学校区は長与町立高田中学校。
沿革
[編集]- 1915年(大正4年)2月 - 「長与尋常高等小学校高田分教場」が設置される。尋常科1・2年の複式学級(1学級)を設置。
- 1936年(昭和11年)4月1日 - 高田分教場が高田分校となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「長与村長与国民学校高田分校」に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、「長与村立長与小学校高田分校」となる。
- 1955年(昭和30年)4月20日 - 運動場を拡張。
- 1956年(昭和31年) - 校舎1棟を増築し、それまで1・2年複式を単式とする。
- 1959年(昭和34年)- 隣接地で九州電力変電所建設のための敷地拡張工事が行われる。
- 1967年(昭和42年)- 新校舎(第一期)が完成。この年の秋に移転。
- 1968年(昭和43年)4月1日 - 長与村立長与小学校より分離し、「長与村立高田小学校」として独立。児童数は219名(6学級)。校旗を制定。ロータリーを建設。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)- 校歌を制定。校門を設置。
- 1971年(昭和46年)- 国旗掲揚台を設置。岩石園が完成。
- 1974年(昭和49年)- プレハブ2教室を設置。体育館が完成。
- 1975年(昭和50年)- 学校給食特別視察校に指定される。これに伴い、指定記念庭園を造成。
- 1978年(昭和53年)- 図書室とプールが完成。
- 1980年(昭和55年)- 米飯給食を開始。
- 1982年(昭和57年)7月23日 - 長崎大水害で校地北側でがけ崩れが発生。
- 1983年(昭和58年)4月 - 在籍生徒数が最大の884名(24学級)を記録する。
- 1985年(昭和60年)- 運動場を拡張。
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 長与町立長与南小学校の新設・分離に伴い、西高田地区と東高田地区の児童を移す。
- 1989年(平成元年)- 保健室を移転。
- 1990年(平成2年)- 新・国旗掲揚台を設置。
- 1991年(平成3年)- 校舎大規模工事を実施。台風により体育館等に被害を受ける。
- 1992年(平成4年)- 花いっぱい運動職員玄関前に花壇(ロータリー)を、全教室前にフラワーポットを設置。
アクセス
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 長崎バス 「百合野」バス停
- 最寄りの国道・県道
周辺
[編集]- 長与町立高田中学校
- 長崎振興局西彼保健所
- 長与町健康センター
- 高田地区公民館
- 高田児童館
- OKホーム&ガーデン長与店
- メモリード北部典礼会館
脚注
[編集]- ^ 通学区域(校区)について - 長与町ウェブサイト