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鎌田 光久(かまた みつひさ、生年不詳 - 永禄5年(1579年))は、戦国時代の阿波国の武将。通称は兵衛。知行五十貫。名東城主。子供に鎌田光康がいる。
天文13年2月に名東城を築く。永禄5年(1579年)に三好実休に率いられて和泉久米田の戦いにて討死する。死後は息子の光康が名東城主となった。
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