錦織孝一
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錦織 孝一 にしきおり こういち | |
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内閣府地方創生推進室より公表された肖像 | |
生年月日 | 1946年11月20日(78歳) |
出生地 |
日本 茨城県鹿島町 (現・鹿嶋市須賀) |
出身校 | 東京理科大学理学部 |
前職 | 茨城県議会議員 |
所属政党 |
(無所属→) (自由民主党→) 無所属 |
公式サイト | にしきおり孝一後援会 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2014年4月24日 - 2022年4月23日 |
茨城県議会議員 | |
選挙区 | 鹿嶋市選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2003年1月8日 - |
錦織 孝一(にしきおり こういち、1946年11月20日[1] - )は、日本の政治家。茨城県鹿嶋市長(2期)、茨城県議会議員と鹿島町議会議員を歴任した。
来歴
[編集]茨城県鹿島町(現・鹿嶋市須賀)に生まれる。茨城県立麻生高等学校卒業。1969年(昭和44年)3月、東京理科大学理学部卒業。1972年(昭和47年)から錦織米肥店の経営を始める[2]。
1991年(平成3年)、鹿島町議会議員選挙に初当選。
2002年(平成14年)12月8日に行われた茨城県議会議員に無所属で立候補し初当選した[3]。翌2003年(平成15年)1月8日、県議に就任。県議在職中に自由民主党所属となった[4]。
2014年(平成26年)4月13日に行われた鹿嶋市長選挙に自民党の推薦を得て出馬し、初当選した[5]。4月24日、市長に就任[6]。
2018年(平成30年)4月15日に行われた鹿嶋市長選挙に出馬し、元市議の佐藤信成を破り再選を果たした。投票率は46.21%。
2021年12月に2022年4月の任期満了をもって引退すると表明した[7]。
政策・人物
[編集]- 2020年(令和2年)5月29日、新型コロナウイルス対策の財源に充てるため、自身の6月から2021年(令和3年)3月までの月額給与と期末手当を20%減額する条例案を市議会臨時会に提出した。副市長および教育長については10%減額する。この減額措置による効果は総額465万1千円。同日、同条例案は可決された[8]。
- 2021年(令和3年)12月7日、市議会本会議において、市長の出処進退などに関する答弁の中で、卑わいな表現や民族差別、職業蔑視などを含む発言を繰り返した。市は通例、YouTubeを通して、市議会一般質問の模様を配信しており、問題の答弁も同日中はライブや録画で配信されていたが、錦織の発言が不適切だとして議会事務局が8日朝からの配信を取りやめた。7日は市議6人が登壇。移転候補地などを巡り注目が集まる鹿島アントラーズの新スタジアム構想に関する質疑も行われた。しかし削除の影響で視聴できなくなり、サポーターから不満の声が噴出した[9]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 県議会役員紹介 | 自民党茨城県連ホームページ
- ^ プロフィール « にしきおり孝一後援会
- ^ 茨城県議会選挙(2002年12月8日)
- ^ “選挙情報 つくば市”. REAL POLITICS JAPAN. 2016年9月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月10日閲覧。
- ^ “鹿嶋市長選 錦織氏が初当選 「政策一つ一つ実現」 茨城”. 産経新聞. (2014年4月15日) 2017年3月10日閲覧。
- ^ 鹿嶋市/選挙の種類と任期満了日
- ^ “錦織・鹿嶋市長、引退へ 後継に田口県議を指名 /茨城”. 毎日新聞 (2021年12月8日). 2022年4月24日閲覧。
- ^ “リリース 市長を含む三役の給与を減額します”. 鹿嶋市役所 (2020年5月29日). 2020年6月1日閲覧。
- ^ 根本太一 (2021年12月10日). “鹿嶋市長が不適切発言、議会配信一部取りやめに サポーター不満”. 毎日新聞 2021年12月10日閲覧。