錦城斎一山 (初代)
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初代 錦城斎 一山 | |
本名 | 内山 孝七 |
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生年月日 | 1835年 |
没年月日 | 1889年3月21日 |
師匠 | 初代伊東潮花 二代目一龍斎貞山 |
名跡 | 1.伊東花林 2.初代一龍斎貞吉 3.三代目一龍斎貞山 4.初代錦城斎一山 |
初代 錦城斎 一山(1835年) - 1889年3月21日[1])。本名:内山 孝七。
経歴
[編集]魚屋の悴として生まれ、初代伊東潮花に入門して花林と名乗る[1]。しかし、訥弁で才能がないとして破門を宣告されたため、二代目一龍斎貞山の門下に転じ、初代一龍斎貞吉を名乗る[1]。1874年、二代目一龍斎貞山が夭折したため、三代目一龍斎貞山を襲名する[1]。1885年、一龍斎貞丈に四代目一龍斎貞山の名を譲り、自ら初代錦城斎一山を襲名した[1]。墓は渋谷区千駄ヶ谷の高雲山瑞円寺にある。戒名は一山真透居士。
人物
[編集]大頭のため、「頼朝公」のあだ名があった。
演目
[編集]「義士伝」「黒田騒動」「石山軍記」などを読み、大石内蔵助を尊敬していた[1]。