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錦城斎一山 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
初代 錦城斎 一山
本名 内山 孝七
生年月日 1835年
没年月日 1889年3月21日
師匠 初代伊東潮花
二代目一龍斎貞山
名跡 1.伊東花林
2.初代一龍斎貞吉
3.三代目一龍斎貞山
4.初代錦城斎一山

初代 錦城斎 一山1835年) - 1889年3月21日[1])。本名:内山 孝七

経歴

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魚屋の悴として生まれ、初代伊東潮花に入門して花林と名乗る[1]。しかし、訥弁で才能がないとして破門を宣告されたため、二代目一龍斎貞山の門下に転じ、初代一龍斎貞吉を名乗る[1]。1874年、二代目一龍斎貞山が夭折したため、三代目一龍斎貞山を襲名する[1]1885年一龍斎貞丈四代目一龍斎貞山の名を譲り、自ら初代錦城斎一山を襲名した[1]。墓は渋谷区千駄ヶ谷の高雲山瑞円寺にある。戒名は一山真透居士。

人物

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大頭のため、「頼朝公」のあだ名があった。

演目

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「義士伝」「黒田騒動」「石山軍記」などを読み、大石内蔵助を尊敬していた[1]

弟子

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f 吉田修『東都講談師物語』中央公論事業出版、2017年6月、35-38頁。