鋳物師大師塚古墳
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鋳物師大師塚古墳 | |
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墳丘・石室開口部 | |
別名 | 鋳物師古墳 |
所在地 | 山口県防府市鋳物師町 |
位置 | 北緯34度3分1.00秒 東経131度34分41.17秒 / 北緯34.0502778度 東経131.5781028度座標: 北緯34度3分1.00秒 東経131度34分41.17秒 / 北緯34.0502778度 東経131.5781028度 |
形状 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
出土品 | 須恵器片 |
築造時期 | 7世紀前半 |
史跡 | 防府市指定史跡「鋳物師大師塚」 |
地図 |
鋳物師大師塚古墳(いもじだいしづかこふん/いもじたいしづかこふん)は、山口県防府市鋳物師町にある古墳。防府市指定史跡に指定されている(指定名称は「鋳物師大師塚」)。
概要
[編集]山口県南部、防府平野中央部の微高地に築造された古墳である[1]。これまでに墳丘東側は墓地化しており、墳丘は大きく削平を受けている。江戸時代には石室が開口していたと見られ、現在は石室内に大師像が祀られる(古墳名の由来)[2][1]。
墳形は明らかでなく、現在は東西約16メートル・南北約7メートル、高さ約4.5メートルのみを遺存する[1]。埋葬施設は横穴式石室で、南南西方向に開口する。玄室・前室の2室と羨道で構成される九州系の複室構造の石室である[2]。石室現存長10.7メートルを測る山口県内でも有数の規模の石室であり、石材には花崗岩の巨石が使用されている[2]。副葬品は明らかでなく、墳丘頂部からの須恵器片1点(高坏脚部)の出土のみが知られる[2]。築造時期は古墳時代終末期の7世紀前半頃と推定される[2]。
古墳域は1969年(昭和44年)に防府市指定史跡に指定されている[3]。
遺跡歴
[編集]- 文化14年(1817年)、石室前に灯籠の建立(灯籠銘文)。当時には開口か[2][1]。
- 1922年(大正11年)、梅原末治が石室実測図を学会に報告[2]。
- 1969年(昭和44年)3月31日、「鋳物師大師塚」として防府市指定史跡に指定[3]。
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては横穴式石室が構築されており、南南西方向に開口する[2]。玄室・前室・羨道からなる複室構造の石室である[2]。石室の規模は次の通り[2]。
- 石室全長:現存約10.7メートル
- 玄室:長さ約3.6メートル、幅約2.9メートル(奥壁)、高さ約3メートル
- 前室:長さ約1.6メートル、幅約2.1メートル、高さ約2.4メートル
- 羨道:現存長約4.6メートル、幅約1.5メートル、高さ約2.4メートル
玄室の奥壁には一枚石を使用し、側壁には巨大な基底石を使用して3-4段積みで構築される[1]。この玄室は山口県内でも最大級の規模になる[1]。羨道は一部が崩壊している。
石室の形態は九州系とされ、防府市内では同様の九州系複室構造の石室として車塚古墳・黒山3号墳・向山3号墳が知られる[1]。
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石室俯瞰図
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玄室(奥壁方向)
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玄室(開口部方向)
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前室(開口部方向)
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前室(玄室方向)
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羨道(開口部方向)
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羨道(玄室方向)
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開口部
文化財
[編集]防府市指定文化財
[編集]- 史跡
- 鋳物師大師塚 - 所有者は専光寺。1969年(昭和44年)3月31日指定[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 史跡説明板(防府市教育委員会、1994年設置)
- 「鋳物師大師塚古墳」『山口県史 資料編 考古1』山口県、2000年。
- 「鋳物師大師塚古墳」『防府市史 資料2(考古資料・文化財編)』防府市、2004年。
外部リンク
[編集]- 鋳物師大師塚 - 防府市ホームページ