銭弘佐
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忠献王 銭弘佐 | |
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呉越 | |
第3代王 | |
王朝 | 呉越 |
在位期間 |
天福6年9月3月 - 天福12年6月2日 (941年9月26日 - 947年6月22日) |
都城 | 銭塘(杭州) |
姓・諱 | 銭弘佐 |
字 | 元祐 |
諡号 | 忠献王 |
廟号 | 成宗 |
生年 |
宝正3年7月26日 (928年8月14日) |
没年 |
天福12年6月2日 (947年6月22日) |
父 | 文穆王 |
母 | 仁恵夫人 |
后妃 |
文献夫人 仰元妃 |
銭 弘佐(せん こうさ)は、十国呉越の第3代王。文穆王銭元瓘の六男。
生涯
[編集]温厚な性格で読書を好み、漢詩に長じていた。
天福6年(941年)、父王の薨去にともない王位を継承し、後晋により呉越国王に封じられた。開運2年(945年)には閩に出兵し南唐とその版図を二分し、福州を占拠している。天福12年(947年)に20歳で薨去した。子が幼少であったため、七弟の銭弘倧が後を継いだ。
家族
[編集]父母
[編集]妻妾
[編集]- 文献夫人杜氏
- 元妃仰氏
男子
[編集]- 銭昱 - 富水侯
- 銭郁 - 西平侯
銭弘佐を主人公とする作品
[編集]伝記資料
[編集]王室の称号 | ||
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先代 文穆王 |
呉越の王(第3代) 941年 - 947年 |
次代 忠遜王 |