銭屋金埒
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銭屋 金埒(ぜにやの きんらち、別表記:錢屋 金埓、1751年(宝暦元年)- 1808年1月1日(文化4年12月4日))は、江戸時代中期から後期に活躍した狂歌師である。本姓は馬場。通称は大坂屋甚兵衛。別号に滄洲楼、黒羽二亭等。
経歴・人物
[編集]江戸の生まれ。初め数寄屋橋付近で金銭関係の商売を営んだ。後に狂歌を志し元木網(高嵩松)の弟子の落栗連の門人となり、「物事名輔」という狂名をもらう。
その後、「銭屋金埒」と名を変え、鹿都部真顔の門人となったと同時に「数寄屋連」を結成した。1782年(天明2年)4月には天明期の江戸の狂歌師における金字塔の一人となり、師匠の真顔と共に「狂歌四天王」の一人となり、名を馳せた。後に狂歌集『狂歌若葉集』(1783年(天明3年)刊行)に金埒の歌が20首ものが入選され、『徳和歌後万載集』(1785年(天明5年)刊行)にも彼の歌が4首入選されている。
主な著作物
[編集]歌集
[編集]- 『金埓狂歌集』
著書
[編集]- 『仙台百首』