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銀鏡軌道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
銀鏡軌道
路線総延長11.7 km
軌間610 mm
exSTR
妻線
杉安駅
日向軌道
uexDST
0.0 二軒橋 (八重)
uexDST
2.1 石橋
uexDST
4.2 一ノ瀬
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5.7 吉松
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6.3 宮ノ谷
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6.9
uexDST
8.3 槙ノ鼻
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11.7 銀鏡

今尾 (2009) に基づく

銀鏡軌道(しろみきどう)は、かつて宮崎県に存在した貨物専業の馬車鉄道人車軌道日向軌道終端の二軒橋に近い八重を起点とし、銀鏡との間を結んでいた。

経営は当初組合形式であったが、後に合名会社形式へ変更された。日本で最後まで現存した民営の馬車鉄道路線でもあった[1]

路線データ

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  • 路線距離:八重 - 銀鏡間11.1km[2]
  • 軌間:610mm

沿革

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  • 1925年(大正14年) 二軒橋 - 槙ノ鼻間が実質的に開業[3]
  • 1926年(大正15年)5月14日 銀鏡軌道組合に対し軌道特許状下付(児湯郡東米良村大字八重-同郡同村大字銀鏡間 動力馬力)[4]
  • 1926年(大正15年)夏 槙ノ鼻 - 銀鏡間を木村林業[5]から買収し事実上の全通[3]
  • 1932年(昭和7年)1月20日 銀鏡軌道組合として軌道法に基づく正式開業(動力馬力及人力)[6]
  • 1936年(昭和11年)4月20日 合名会社銀鏡軌道に改組[7]
  • 1949年(昭和24年)1月 会社解散に伴い運行休止。実態的には廃止。
  • 1949年(昭和24年)5月13日 正式廃止。

東米良村では明治43年に谷口善吉が上揚-征矢抜間(5キロ)、大正8年に木村工業(のちに木村林業に改称[5])が上揚-銀鏡間に森林軌道敷設の記録がある[8]。社長の木村桂七郎は銀鏡軌道組合の組合員であった[4]

輸送・収支実績 ・車両数

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年度 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他損金(円) 無蓋貨車
1932 1,223 4,512 2,922 1,590 償却金1,412 5
1933 3,199 12,366 7,237 5,129 雑損償却金5,009 5
1934 3,401 14,943 9,158 5,785 雑損償却金5,510 7
1935 3,571 16,256 10,993 5,263 雑損償却金4,847 7
1936 2,750 12,134 9,237 2,897 雑損17償却金2,880 4
1937 2,799 12,384 8,427 3,957 雑損1償却金5,255 4
1939 2,988 13,417 9,547 3,870 雑損482償却金5,027
1941 3,551 17,819 17,301 518 雑損2,523退職金1,438
1948 1,081
1949 1,180
  • 鉄道統計資料、鉄道統計、鉄道統計年報、地方鉄道軌道統計年報各年度版

脚注および参考文献

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  1. ^ 北海道の簡易軌道風蓮線では1963年まで馬力を使用していた。
  2. ^ 今尾 (2009) では二軒橋(八重) - 銀鏡間11.7km
  3. ^ a b 今尾 (2009)
  4. ^ a b 「軌道特許状下付」『官報』1926年5月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ a b 『日本全国諸会社役員録. 第34回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 3月26日譲渡許可「軌道譲渡」『官報』1936年3月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 『宮崎県林業史』宮崎県、1997年、448頁