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鉤取王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鉤取王(かぎとりおう、生年不詳 - 神亀6年2月12日729年3月16日))は、奈良時代皇族

左大臣長屋王の子。

経歴

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元明朝の霊亀元年(715年)2月に長屋王吉備内親王(元明天皇の娘)との間に生まれた子女は皇孫として扱う詔勅が出され、同母兄の膳夫王葛木王らとともに二世王待遇となる[1][2]。この当時の皇太子は首皇子であったが、藤原氏を母に持つの首の即位をよく思わなかったため、皇位継承権はあったといわれる[3][4]

神亀6年(729年)2月に父の左大臣長屋王が国家転覆を企んでいるとの漆部君足らの密告により、両親と共に自殺[5]長屋王の変)。

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 『続日本紀』霊亀元年2月25日条
  2. ^ Inc, NetAdvance Inc NetAdvance. “長屋王の変|国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書|ジャパンナレッジ”. JapanKnowledge. 2024年5月11日閲覧。
  3. ^ 大山誠一『長屋王家木簡と奈良朝政治史』(吉川弘文館、1992年)[要ページ番号]
  4. ^ 唯一の特技?美声を誇った長屋王の子孫・高階石河 平安貴族列伝(26) | JBpress (ジェイビープレス)”. JBpress(日本ビジネスプレス). 2024年5月11日閲覧。
  5. ^ 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “鉤取王(かぎとりおう)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年5月11日閲覧。