鈴鹿サーキットクイーン
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鈴鹿サーキットクイーン Suzuka Circuit Queen | |
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鈴鹿サーキット | |
基本情報 | |
職種 | キャンペーンガール |
職域 | 一般人 |
詳細情報 | |
必要技能 | プロモーション、アテンド |
就業分野 | 鈴鹿サーキット |
関連職業 | レースクイーン、モデル |
鈴鹿サーキットクイーン(すずかサーキットクイーン、Suzuka Circuit Queen)は、日本のサーキットである鈴鹿サーキットのかつて存在したイメージガールである。
概要
[編集]一般から参加者を募り、オーディションで選ばれる。任期は基本的に1年もしくは2年。
主な業務は、鈴鹿サーキット内で行われるレースやイベントへの参加や、親会社である本田技研工業(Honda)の事業及び関連事業のPR活動への参加で、他のレースクイーンやイベントコンパニオンとの兼務は出来ない。
2020年末を持って鈴鹿サーキットクイーンの活動及び新規募集を終了した。これにより42期で歴史の幕を閉じることになった[1]。
歴代のサーキットクイーン
[編集]注:太文字はグランプリ、斜字は途中脱退者。
期 | 年度 | メンバー | 応募者数 | 参考 |
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1期生 | 1979年 | 根本律子、小川ひとみ、原大万美(はら・たまみ[2])、国田恵子、大楠節子、水野真由美、田中美智子、阪野悦子、小島万智子、堀木美佐子、岡本礼子[3] | 根本は「花のクイーン」、小川は「準クイーン」、その他9名は「プリンセス」 | |
2期生 | 1980年 | 水野律子、山添麻子、鈴木晴美、円実礼子、野々山由梨子、中沢寿美子、奥田小百合、岩田真由美、佐野木の美、窪田利恵子、小林恵美子[4] | 水野は「ミス英国フェア」他の10名は「花のクイーン」 | |
3期生 | 1981年 | 小林純子、谷口京子、今川奈々子、北波美樹子、野草佐和子、伊藤結香子、野村千鶴子、林真記、壁谷きみ子、安藤千鶴、田中繁子[5] | 小林は「ミス・フランスフェア」他の10名は「花のクイーン」 | |
4期生 | 1982年 | 堀美佐子、山口博美、板ゆかり、杉本治子、細川真三代、東山美奈子、古山幸子、伊藤美智代、荻野里美、三井寿子、盛川圭子、南早百合[6] | 「レースクイーン」と改称、堀は「グランプリ」 | |
5期生 | 1983年 | 土橋明美、山本靖子、西野令子、的場浩美、増田公子、山形美和子、庄司恵子、浜津有里、井上雅世、村杉悦子、早川佳江、森川晴恵[7] | ||
6期生 | 1984年 | 池内博美、江崎ひろ子、大槻恭子、沖津志津代、近藤じゅん子、柴由美子、鈴木由美子、野田作喜子、文元和美、松下世千代、松葉真由子、森美由紀 | 松下は同年の準ミス・ナゴヤ[8] 池内は翌年のミス・ナゴヤ[9] 江崎は翌々年のミス・ユニバース日本代表 | |
7期生 | 1985年 | 日高三代子、石川雅恵、吉川小百合、井上尚美、和田智子、伊藤裕得、松波利佳、藤原詳子、浅井圭子、吉田明美、古川明美、大野友子[10] | ||
8期生 | 1986年 | コンテストがチェルノブイリ原子力発電所事故の発覚と重なり、報道されなかったと見られる | ||
9期生 | 1987年 | 飯島久恵、上野美和、清本順子、国武万里、黒澤美和子、後藤美恵子、代田記子、中村明美、濱口真由美、樋田由夏、松沼博子、森田愛子[11] | 後藤は「準グランプリ」 | |
10期生 | 1988年 | 福冨真理、三井由紀子、石原多華子、岡墻由紀、奥真紀子、小牧美鈴、赤代員子、瀬尾えりこ、半澤まりか、古川真理子[12] | ||
11期生 | 1989年 | 足羽亨子、川村千絵、瀬古友美、高木洋子、宝田仁子、辻環、中村由加里、花井美代子、松下美和子、宮澤陽子[13] | 花井は「準グランプリ」 | |
12期生 | 1990年 | 有山幸子、大谷悦子、奥村弥生、桑原恵、後藤育子、後藤真奈美、高橋澄代、竹内かなえ、田村まり、中島順子、前川由木子、松本真貴子、三谷美紀、山本訓子、湯浅真理子[14] | 有山は「準グランプリ」 | |
13期生 | 1991年 | 青木真由美、伊藤喜美子、加藤あゆみ、倉角暁子、小泉純子、小林陽子、田畑弥生、中村悦子、西井香澄、野口佳奈子、渡部亜子[15] | 小泉は「準グランプリ」 | |
14期生 | 1992年 | 飯田千恵、香中孝予、河野恵理子、桑原皆子、小林亜紀恵、澤田富美恵、高田充規、田中ひかり、辻知美、寺岡知美[16] | ||
15期生 | 1993年 | 稲泉裕子、小川景子、佐藤愛、芝田由香、西山浩代、野村ひとみ、松野浩子、薮田里奈、山本紫可(しより)、渡邊よしこ[17] | 「鈴鹿サーキットクイーン」と改称、山本は「準グランプリ」 | |
16期生 | 1994年 | 江本美華、木庭己幸、佐伯愛、佐藤博美、清水里美、伴野由加子、日置佐保美、藤井靖代、増田訓子、柳沢恵利、李絵津子 | ||
17期生 | 1995年 | 小幡優子、後藤美紀子、清水由巳子、下條仁子、高井美香、田中真美、長屋美智留、丸井玲香、若園ゆきか | ||
18期生 | 1996年 | 飯野みのり、石川美津穂、梅北由美、大石優子、大賀聡子、加藤友美、斎藤奈々、鈴木万美子、大工原忍、村松加王里、安田香織、和嶋聡子 | ||
19期生 | 1997年 | 石川綾乃、伊藤雅代、近藤桃子、斉藤美紀、徳田美智子、冨江麻紀子、芳賀まり、廣田美路、福田佐和子、藤田雅子、分部志保 | 約480名 | |
20期生 | 1998年 | 大前ちづる、片岡加奈子、癸生川優里子、酒井美代子、重久裕貴、高瀬絵里、田中真純、寺地直子、中野舞子 | ||
21期生 | 1999年 | 後藤夏織、勝目あや子、木寺由佳理、紀藤裕子、須田真奈美、比嘉マリーゼ美智子、三輪恭子、山崎友美 | 約450名 | 比嘉、三輪、山崎は1999年のみ |
22期生 | 2000年 | 相川清美、今西香織、坂本みどり、鈴木智晴、瀬谷尚美、高倉宏恵、林茂波、松本明子 | ||
23期生 | 2001年 | 前原千晶、古田真美、近藤雅子、境紘子、新本真巳 | ||
24期生 | 2002年 | 市川愛子、横倉絵美、林清夏、宮川直己 | ||
25期生 | 2003年 | 藤田亜美、片岡真移、片野朋美、片平サクラ、奥田理恵、川澄人己 | ||
26期生 | 2004年 | 安達麗、濱中美祐、福島アグネス、中村文香、久田かおり | ||
27期生 | 2005年 | 雑賀千佳、原智美、田中真未、山本絢子、山本紗有里、鈴木結佳里、鈴木桜 | ||
28期生 | 2006年 | 吉永美沙子・板倉淳美・萩原綾香・下村祥子・本田梨花 | ||
29期生 | 2007年 | 鵜飼梨恵・菊井真理子・本間茜・山本佳世子・杉浦さゆり | 約130名 | [1] |
30期生 | 2008年 | 中川愛菜・伊藤有里・春崎まり・田中小夜美・大塚亜美・村信遥 | 約150名 | [2] |
31期生 | 2009年 | 磯部晃名・岡田亜由美・北村奈緒・美村あや・小池淑乃・渡部愛 | 約200名 | [3] |
32期生 | 2010年 | 前田真実・長門亜弥・古川みゆき・山岸美穂・後藤和江 | 約100名 | [4] |
33期生 | 2011年 | 田中朋恵・中川祐佳・早川采伽・中橋舞・松井かれん | 約100名 | [5] |
34期生 | 2012年 | 近澤志穂、中島彩乃、鬼頭果住、橘奈緒、元井麻有 | 約100名 | [6] |
35期生 | 2013年 | 板垣里奈、野中一希、田中梨乃、鈴木知葉 | 約100名 | [7] |
36期生 | 2014年 | 椿壱縷、山口ミカ、大谷桃子、岡坂実那子、辻井珠美、中川早織 | 105名 | [8] |
37期生 | 2015年 | 森江由衣、福田りえ、内田智子、岡本麻佑、宮まなみ、梅田あゆみ | 100名 | [9] |
38期生 | 2016年 | 白川さくら、山上ゆりな、内山愛優、有田汐里 | [10] | |
39期生 | 2017年 | 名取りな、本部由奈、亀山めぐみ、近藤美妃 | 亀山めぐみは3年連続 [11] | |
40期生 | 2018年 | 吉原あや香、出井みさこ、佐藤杏美、荒木エリカ、松村しんり | 松村しんりは3年連続 [12] | |
41期生 | 2019年 | 岡田あいり、中谷みお、広瀬真未 | ||
42期生 | 2020年 | 澤田虹輝、小椋妃夏、渡邉セナ、大塚心愛、久米彩音 | [13] |
この節の加筆が望まれています。 |
コスチューム
[編集]- 通常のコスチュームは2001年度までは白に緑のラインのコスチューム、2002年度からシンイチロウ・アラカワがデザインした、紺色の上下に赤と白のキャミソールというコスチューム(正式には移動着と言う)となり、7年間続いた。2009年度からはサーキットのシンボルカラーである白とグリーンを基調としたスタイリッシュな衣装にリニューアルされた。
- 鈴鹿8耐の時は冠スポンサーであるコカ・コーラのロゴが大きくプリントされたワンショルダー(2001年度までは胸元が大きく開いた)ボディコンシャスでミニスカートなワンピース。
- 鈴鹿1000kmでは、冠スポンサーにポッカ→ポッカサッポロが協賛していた時代、ポッカのロゴが入った白地に赤のラインの入ったワンピース(旧バージョン)。2005年度はピンク色のPokka GALの衣装か、PokkaドライバーGALの衣装。2007年度以降は黒のaromax BLACK、赤のaromax ESPRESSO、金色のaromax LATTEなど、様々な色のバリエーションを着用した。
- 過去にはF1日本グランプリやミリオンカード→UFJカードが冠スポンサーだった時代の全日本F3000選手権→フォーミュラ・ニッポンにおいても専用のコスチュームが用意されていた。
脚注
[編集]- ^ “「鈴鹿サーキットクイーン」、2020年限りで活動を終了”. Formula Web. (2020年12月28日)
- ^ 原さんら準ミスに ミスかきつばた『中日新聞』1980年5月5日10面
- ^ "花のクイーン"に根本さん 鈴鹿サーキット オランダフェア『中日新聞』1979年4月30日18面
- ^ ミス英国フェアに岡崎の水野さん『中日新聞』1980年4月30日18面
- ^ ミスフランスフェア 四日市の小林さんに 鈴鹿サーキット『中日新聞』1981年4月30日18面
- ^ グランプリに堀さん 鈴鹿サーキットでレースクイーンコンテスト『中日新聞』1982年4月30日18面
- ^ "京美人"グランプリ 鈴鹿クイーンコンテスト『中日新聞』1983年4月30日20面
- ^ ミスナゴヤに名古屋瑞穂区の日比さん『中日新聞』1984年5月24日20面
- ^ ミスナゴヤ"ひろみ"トリオ『中日新聞』1985年5月28日22面
- ^ 鈴鹿レースクイン決まる『中日新聞』1985年4月29日18面
- ^ グランプリに一宮の黒沢さん 鈴鹿・レースクイン『中日新聞』1987年5月4日18面
- ^ レースクイーン決まる『中日新聞』1988年4月30日22面
- ^ 「レースクイーン」美競う『中日新聞』1989年4月30日26面
- ^ サーキットの花 クイーン決まる 鈴鹿『中日新聞』1990年4月30日22面
- ^ レースクイーン決まる『中日新聞』1991年4月30日22面
- ^ レースの"花"決まる 鈴鹿サーキット『中日新聞』1992年4月30日22面
- ^ 鈴鹿女王はバレエ教師『中日新聞』1993年4月30日22面