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鈴木 鎮雄(すずき しずお、1884年(明治17年)1月28日 - 1968年(昭和43年)5月27日)は、日本の建築家。宮内省に勤務した。
1884年、東京府士族鈴木信一の長男として生まれる。
1910年、東京帝国大学工科大学建築学科を卒業。同期に内藤多仲、安井武雄らがいる。大学卒業後、宮内省内匠寮に勤務[1]。
1914年に宮内技師となる。1924年には欧米各国を視察した。
1931年、臨時帝室博物館造営課長に異動した北村耕造の後を継ぎ、工務課長となる。1943年に工務部長、宮内技監に就任(1946年3月まで)。
戦後は宮内庁調査員、工学院大学講師などを務めた。
- 1915年 - 表宮殿正殿前中坪の能楽場の新築工事など
- 1926年 - 那須御用邸本邸
- 1935年 - 宮内省庁舎
- ^ 以下の経歴は主に『日本近代建築人名総覧』694頁による。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- 堀勇良『日本近代建築人名総覧』中央公論新社、2021年
- 『官報』1915年06月01日、1915年06月18日、1915年09月15日(授爵・敍任及辞令)
- 鈴木鎮雄「故佐野利器先生の思い出」『建築雑誌』第72巻843号、pp.13-14, 19, 1957年2月
- 鈴木鎮雄「宮内省時代の佐野先生」『佐野利器』 佐野博士追想録編集委員会、1957年
- 高晟埈「旧李王家東京邸内の武石弘三郎作大理石浮彫について」『新潟県立近代美術館研究紀要』第11巻、新潟県、2012年
- 中村達太郎「皇居御造營の頃」『建築雑誌』第49巻601号、pp.856-870、1935年7月