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鈴木英雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鈴木英雄

鈴木 英雄[1](すずき ひでお、1877年明治10年〉11月30日[2] - 1962年昭和37年〉3月8日[3])は、農商務官僚、衆議院議員[4]小田原市長

経歴

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神奈川県足柄下郡小田原町(現在の小田原市)出身[1]。鈴木善左衛門の長男[4][5]1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格した[6]。農商務属、同書記官参事官、水産局漁政課長、大臣官房課長、特許局長を歴任した[6]

官を辞し、漁業を営み傍ら会社の重役である[6]。日本漁網船具社長、小田原魚市場社長などを務めた[6]

1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。立憲政友会に所属[1]。合計で4回の当選を重ねた。1944年(昭和19年)には小田原市長に選出された。戦後、公職追放となる[7]

追放解除後の1952年(昭和27年)からは小田原信用金庫理事長を務めた。

人物

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1919年家督を相続する[4][5]。住所は小田原市万年[4][5]

家族・親族

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鈴木家
親戚
  • 妻の弟・鶴岡和修(旧名・和文、衆議院議員、東京府会議員、亀戸町長)

脚注

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  1. ^ a b c 『衆議院要覧 昭和12年11月 乙』第一編 議員履歴107頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月6日閲覧。
  2. ^ 衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、6頁。
  3. ^ 『新訂政治家人名事典』
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第13版 上』ス78 - 79頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月5日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 『人事興信録 第14版 上』ス78頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月5日閲覧。
  6. ^ a b c d 『帝国大学出身名鑑』ス42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月5日閲覧。
  7. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛小田原市支兼協」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、599頁。NDLJP:1276156 

参考文献

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  • 校友調査会編『帝国大学出身名鑑』校友調査会、1934年。 
  • 『衆議院要覧(乙) 昭和十二年十一月』衆議院事務局、1937年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。