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鈴木敏行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鈴木 敏行
生誕 1891年5月14日
日本の旗 日本 東京府
死没 (1967-09-08) 1967年9月8日(76歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911年 - 1939年
1942年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
親族 父:鈴木重道
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鈴木 敏行(すずき としゆき、1891年明治24年)5月14日[1] - 1967年昭和42年)9月8日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。

経歴

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1891年(明治24年)に海軍軍医・鈴木重道の三男として東京府で生まれた[1][2]陸軍士官学校第23期、陸軍大学校第33期卒業[1]1935年(昭和10年)8月1日陸軍砲兵大佐に進級し[3]、野砲兵第4連隊長に着任した[3]1937年(昭和12年)9月7日第108師団参謀長に転じ[3]日中戦争に出動したが[1]10月22日には第1軍兵器部長に転じた[1][3]

1938年(昭和13年)7月に陸軍少将に進級[3]1939年(昭和14年)3月9日留守第8師団司令部附となり[1]4月15日に待命[3]4月30日予備役に編入された[1]1942年(昭和17年)2月に召集され、対馬要塞司令官に就任した[1]1943年(昭和18年)6月に西部軍兵器部長に転じ[1]1945年(昭和20年)2月1日西部軍管区兵器部長兼第16方面軍兵器部長を経て[4]7月16日陸軍兵器行政本部陸軍兵器学校附となった[5]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 福川 2001, 400頁.
  2. ^ 『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年、ス66頁。
  3. ^ a b c d e f 外山 1981, 299頁.
  4. ^ 第24号 昭和20年2月1日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120932700 
  5. ^ 第158号 昭和20年7月16日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120963000 
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」139頁。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026