鈴木孫彦
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鈴木 孫彦(すずき まごひこ、1878年1月5日 - 1930年4月25日)は、日本の会計学者、俳人。初代専任京城高等商業学校校長。
人物・経歴
[編集]静岡県磐田郡向笠村生まれ[1]。1899年高等商業学校(現一橋大学)本科卒業[2]。1904年同校専攻科卒業[3]。1905年熊本県立商業学校教諭[4]。1907年同校長[5][6]。
1909年山口高等商業学校教授[7]。1917年からイギリス、アメリカ合衆国、フランスに留学し[8]、帰国後、1921年から京城高等商業学校校長を務め[9]、朝鮮総督府の意向に反し、朝鮮民族美術館設立を支持した[7]。
1927年叙従四位[10]。1928年病気のため辞任し、山口市後河原の自宅で療養していたが、1930年に死去した[11]。俳人としても活動し、俳号は芒生[12]。妻のチヨノは楢崎国太郎元山口県会議員の子[8]。
著書
[編集]- 『新案商業簿記』(近藤英三と共著)宝文館 1909年
- 『新案銀行簿記提要』(近藤英三と共著)宝文館 1911年
- 『商業簿記』(近藤英三と共著)宝文館 1916年
- 『銀行簿記 : 改定』(近藤英三と共著)宝文館 1916年
- 『改定商業簿記』(近藤英三と共著)宝文館 1916年
脚注
[編集]- ^ 現今俳家人名辞書
- ^ 東京高等商業学校一覧 明治36-37年
- ^ 東京商科大学一覧 自大正11年至12年
- ^ 官報 1905年01月11日
- ^ 官報 1907年04月11日
- ^ 官報 1907年04月22日
- ^ a b 林田雅至「淺川伯教著「鈴木先生」(『京城日報』掲載、1930年5月)による鈴木先生の審美眼の分析考」大阪大学COデザインセンター
- ^ a b 新興日本名士録 : 帝都復興之現勢
- ^ 京城高等商業学校一覧 昭和13年度
- ^ 報 1927年06月13日
- ^ 桜蔭会史 桜蔭会 編 桜蔭会, 昭15
- ^ 俳人名簿 (俳書堂文庫)