鈴木勝義
鈴木 勝義(すずき かつよし、1959年[1] - )は、日本のエッセイスト・コラムニスト。東京都中野区出身[1]。
経歴
[編集]1982年に慶應義塾大学経済学部を卒業。野地洋行による社会思想論のゼミナールで学生代表を務めた。熊倉敬聡はゼミの同期生かつラグビー部のチームメイトであり、慶應義塾普通部(中学校)以来の親友である。大学4年生の時、当時『朝日ジャーナル』の編集長であった筑紫哲也に認められて同誌に自身の学生時代をモチーフにしたエッセイを寄稿。これが実質的なメジャーデビュー作品となった。
大学卒業後は日本政策金融公庫の前身である中小企業金融公庫の神戸支店に勤務。当時の調査部長で後に『信長の棺』でベストセラー作家となる加藤廣からは「金融マンでエッセイストというのは面白い」と、可愛がられた。1980年代半ばにはワークデザインの技法を学ぶために同公庫を退職して早稲田大学システム科学研究所主宰のビジネススクール(WBS)に入学。同スクール修了後は化学品メーカーやグロッサリーの商社に勤務したり医療福祉系の大学で事務方の幹部職員として勤めたりしたが1990年代の終わり頃に自身の経営による健康食品と雑貨の商社を創業。東日本大震災が起きる2011年の早春までは主に実業家として生きた。
2011年3月に東日本大震災が発生した後は、その人生経験や思想史の知識を子や孫たちの世代に伝えて行きたいとの思いから、エッセイやコラムの執筆活動に本格的に力を入れるようになる。当初は“川瀬見つばさ”名義での紙媒体への社会派エッセイの寄稿が中心であり、2012年10月5日発行の「週刊金曜日」に掲載された『維新のいいとこ取りで自民に迫れ』では、縁故主義的な傾向の強い世襲政治家が権力を握ることの問題点について指摘した。
鈴木自身が現在でも月のうち半分程度の日数、都内の一般企業にシニア的な立場で勤務していることから執筆活動はネット・メディアでのコラム連載が中心となっている。筆名は本名でもある“鈴木勝義”の他、“鈴木かつよし”や“川瀬見つばさ”名を使用することもある。社会派のエッセイから趣味の野球や昭和歌謡、ビートルズなど題材とする分野は多岐にわたるが、鈴木の作品の特徴としては難しい社会問題について誰にでもわかりやすくその本質をつく点が挙げられる。本人は、「それ以外に文筆家としての自分に特筆するようなことはない」と語っている。
主な寄稿文
[編集]- 『維新のいいとこ取りで自民に迫れ』(2012年、「週刊金曜日914号」掲載)鈴木勝義名義
- 『タイガーマスクに愛を貰った子どもたち』(2013年、ニュースサイト「IRORIO」掲載)川瀬見つばさ名義[2]
- 『昭和歌謡が平成女子の心に響くワケ』(2016年、コラムサイト「WomanNews」掲載)鈴木かつよし名義[3]
- 『これからの結婚のあり方のヒントがある? 明治時代以前の夫婦関係とは』(2018年、子育て応援コンテンツサイト「パピマミ」掲載)鈴木かつよし名義[4]
脚注
[編集]- ^ a b ニュースサイト「IRORIO」. “川瀬見つばさ”. 株式会社マッシュメディア. 2018年7月15日閲覧。
- ^ タイガーマスクに愛を貰った子どもたち
- ^ 昭和歌謡が平成女子の心に響くワケ
- ^ これからの結婚のあり方のヒントがある? 明治時代以前の夫婦関係とは