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釜堀浩元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

叡南 浩元(えなみ こうげん、旧姓:釜掘・かまほり、1974年 - )は、福岡県出身の日本天台宗僧侶延暦寺一山善住院住職、戦後13人目の堂入り行満、北嶺大行満大阿闍梨[1]

略歴

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  • 2011年3月、行に入る。
  • 2015年10月21日、堂入り行満、当行満阿闍梨に[2]
  • 2017年9月18日に千日回峰行を満行し「北嶺大行満大阿闍梨」となった[3]
  • 2018年、師匠の「叡南」の姓を継ぐ。

法縁 

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大椙覺宝

第234世天台座主、千日回峰行大行満大阿闍梨、探題、大僧正、叡南覺忍大和尚の師匠、叡南覺誠大和尚の大師匠。 京都御所に土足参内して孝明天皇をお加持、大行満として初めて「十万枚護摩供法要を実施。 明治の廃仏毀釈に対して、大久保利通山縣有朋大隈重信と折衝して延暦寺を守る[4]

叡南覺忍

千日回峰行大行満大阿闍梨(1903年(明治36年満行))大椙覺宝座主の弟子、叡南覺誠大和尚の師匠、叡南祖賢大和尚の大師匠。 1912年(大正元年)『北嶺行門始祖相応和尚略伝』を編纂。

叡南覺誠

探題、大僧正、叡南覚照師の大師匠。叡南祖賢大和尚の師匠、滋賀院門跡門主。「能気さん」と呼ばれた。

叡南祖賢

第二次世界大戦後初の千日回峰行大行満大阿闍梨(1946年(昭和21年満行))、叡南覚照師の師匠。弟子育成と叡山復興に尽力した「叡山の傑僧」

大師匠

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叡南覚照

赤山禅院住職。千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。 叡南祖賢の弟子。 「赤山の御前さま」と言われた。

師匠

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叡南俊照

律院・赤山禅院住職。千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。

師匠の兄弟弟子

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高川慈照

比叡山最乗院住職、大僧正。「侍真」として十二年籠山行を満行。

栢木寛照

善光寺大勧進第104世貫主、大僧正。

上原行照

伊崎寺住職、千日回峰行大行満大阿闍梨

大師匠の兄弟弟子 

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葉上照澄

千日回峰行大行満大阿闍梨、滋賀院門跡門主、大僧正。東京帝国大学卒業、大正大学教授。世界宗教サミットを発起。

勧修寺信忍

千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。元伯爵。

叡南覚範

毘沙門堂門跡第61世門主、探題、大僧正。世界連邦日本仏教徒協議会会長。

小鴨覚禅

比叡山延暦寺副執行、大僧正。

村上光田

信州善光寺長臈、信濃比叡広拯院住職、大僧正。

藤光賢

曼殊院門跡門主、探題・大僧正。佐賀県神埼郡吉野ヶ里町・金乘院住職。

堀澤祖門

三千院門跡門主、探題・大僧正。「侍真」として十二年籠山行を満行。

中野英賢

比叡山延暦寺観樹院住職、大僧正。「侍真」として十二年籠山行を満行。

小林栄茂

千日回峰行大行満大阿闍梨

光永澄道

千日回峰行大行満大阿闍梨、 光永覚道大阿闍梨の師匠、光永圓道大阿闍梨の大師匠

福田徳衍(徳郎)

朝日新聞記者・カメラマン。

脚注

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  1. ^ 【朝日新聞】2015年10月21日付「千日回峰行、釜堀師が「堂入り」達成 戦後13人目」
  2. ^ 【中外日報】2015年10月22日付「釜堀行者、堂入り行満 千日回峰行」
  3. ^ 比叡山「千日回峰行」7年で満行…4万キロ踏破読売新聞
  4. ^ 山田恭久編『戦後初の北嶺千日回峰行者 叡南祖賢大阿闍梨 叡南覺範・村上光田・藤光賢・堀澤祖門が語る比叡山の傑僧』84~86頁 善本社、2023年
先代
光永圓道
千日回峰行者(天台宗)
51人目(2011年 - 2017年)
次代