釜堀浩元
叡南 浩元(えなみ こうげん、旧姓:釜掘・かまほり、1974年 - )は、福岡県出身の日本の天台宗の僧侶で延暦寺一山善住院住職、戦後13人目の堂入り行満、北嶺大行満大阿闍梨[1]。
略歴
[編集]- 2011年3月、行に入る。
- 2015年10月21日、堂入り行満、当行満阿闍梨に[2]
- 2017年9月18日に千日回峰行を満行し「北嶺大行満大阿闍梨」となった[3]。
- 2018年、師匠の「叡南」の姓を継ぐ。
法縁
[編集]- 大椙覺宝
第234世天台座主、千日回峰行大行満大阿闍梨、探題、大僧正、叡南覺忍大和尚の師匠、叡南覺誠大和尚の大師匠。 京都御所に土足参内して孝明天皇をお加持、大行満として初めて「十万枚護摩供法要を実施。 明治の廃仏毀釈に対して、大久保利通、山縣有朋、 大隈重信と折衝して延暦寺を守る[4]。
- 叡南覺忍
千日回峰行大行満大阿闍梨(1903年(明治36年満行))大椙覺宝座主の弟子、叡南覺誠大和尚の師匠、叡南祖賢大和尚の大師匠。 1912年(大正元年)『北嶺行門始祖相応和尚略伝』を編纂。
- 叡南覺誠
探題、大僧正、叡南覚照師の大師匠。叡南祖賢大和尚の師匠、滋賀院門跡門主。「能気さん」と呼ばれた。
第二次世界大戦後初の千日回峰行大行満大阿闍梨(1946年(昭和21年満行))、叡南覚照師の師匠。弟子育成と叡山復興に尽力した「叡山の傑僧」
大師匠
[編集]赤山禅院住職。千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。 叡南祖賢の弟子。 「赤山の御前さま」と言われた。
師匠
[編集]律院・赤山禅院住職。千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。
師匠の兄弟弟子
[編集]比叡山最乗院住職、大僧正。「侍真」として十二年籠山行を満行。
善光寺大勧進第104世貫主、大僧正。
伊崎寺住職、千日回峰行大行満大阿闍梨
大師匠の兄弟弟子
[編集]千日回峰行大行満大阿闍梨、滋賀院門跡門主、大僧正。東京帝国大学卒業、大正大学教授。世界宗教サミットを発起。
- 勧修寺信忍
千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。元伯爵。
- 叡南覚範
毘沙門堂門跡第61世門主、探題、大僧正。世界連邦日本仏教徒協議会会長。
- 小鴨覚禅
比叡山延暦寺副執行、大僧正。
- 村上光田
- 藤光賢
曼殊院門跡門主、探題・大僧正。佐賀県神埼郡吉野ヶ里町・金乘院住職。
三千院門跡門主、探題・大僧正。「侍真」として十二年籠山行を満行。
- 中野英賢
比叡山延暦寺観樹院住職、大僧正。「侍真」として十二年籠山行を満行。
- 小林栄茂
千日回峰行大行満大阿闍梨
- 光永澄道
千日回峰行大行満大阿闍梨、 光永覚道大阿闍梨の師匠、光永圓道大阿闍梨の大師匠
- 福田徳衍(徳郎)
朝日新聞記者・カメラマン。
脚注
[編集]- ^ 【朝日新聞】2015年10月21日付「千日回峰行、釜堀師が「堂入り」達成 戦後13人目」
- ^ 【中外日報】2015年10月22日付「釜堀行者、堂入り行満 千日回峰行」
- ^ 比叡山「千日回峰行」7年で満行…4万キロ踏破読売新聞
- ^ 山田恭久編『戦後初の北嶺千日回峰行者 叡南祖賢大阿闍梨 叡南覺範・村上光田・藤光賢・堀澤祖門が語る比叡山の傑僧』84~86頁 善本社、2023年
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