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金鉄男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金鉄男
生誕 1895年9月12日
朝鮮国黄海道信川郡
死没 (1952-10-07) 1952年10月7日(57歳没)
中華人民共和国の旗 中華人民共和国北京
所属組織 国民革命軍
最終階級 上校
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金鉄男(キム・チョルラム、金鐵男、김철남)は、日本統治時代の朝鮮独立運動家、国民革命軍の軍人。別名は金炳斗(김병두)。

経歴

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1895年9月12日、黄海道信川郡に生まれる。1915年、ソウル儆新学校卒業。

三・一運動後、上海に亡命。福州の軍官学校を卒業。黄埔軍官学校教導第3団副団長。北伐では国民革命軍に従軍して江西省南昌を進撃した[1]。北伐後は上海を経て南京で長い間活動した[1]。この時期、金九金元鳳など多くの独立運動家と交流した[1]

1930年、中央陸軍軍官学校第8期外国文教官[2]

1934年、中央陸軍軍官学校洛陽分校日本語教官[3]

1936年3月14日、歩兵中校[4]

日中戦争で空襲防御総監部消極防空処処長、湖南省空襲防御司令部司令、軍事委員会防空総監部科長を歴任[1]。1942年、「降落傘部隊之研究」の編纂に携わっている[5]

1943年3月、韓国臨時政府交通部次長[6]。同年8月、空軍設計委員会委員[6]。1944年12月、参謀部次長[6]。1945年2月、新韓民主党中央執行委員[7]

終戦後も中国に留まり、中華人民共和国成立後は北京人民芸術劇院で働いていた[1]。1952年、癌により北京で死去。

1972年、建国勲章独立章を追叙。

出典

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  1. ^ a b c d e “不滅の足跡(58)―独立運動家金鉄男” (朝鮮語). 吉林新聞. (2012年10月24日). http://www.jlcxwb.com.cn/cxz/content/2012-10/24/content_97018.htm 2016年12月23日閲覧。 
  2. ^ 中国黄埔軍校網. “南京本校第八期教職員工籍貫表” (中国語). 2016年12月23日閲覧。
  3. ^ 「中國軍官學校 洛陽분교 조선인학생의 근황에 관한 건」” (韓国語). 国史編纂委員会. 2016年12月23日閲覧。
  4. ^ 国民政府広報第1996号” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2016年12月23日閲覧。
  5. ^ 抗战书目数据” (中国語). 重庆图书馆. 2016年12月23日閲覧。
  6. ^ a b c 韓国臨時政府部署別職員名簿” (韓国語). 国史編纂委員会. 2016年12月23日閲覧。
  7. ^ 新韓民主党責任役員名簿” (韓国語). 国史編纂委員会. 2016年12月23日閲覧。

参考

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金鐵男” (韓国語). 大韓民国国家報勲処. 2016年12月23日閲覧。

外部リンク

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