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金英哉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金英哉
김영재
生誕 1911年4月5日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮平安北道龍川郡
死没 (1965-07-20) 1965年7月20日(54歳没)
大韓民国の旗 大韓民国釜山広域市
所属組織 中華民国空軍
韓国光復軍
大韓民国空軍
最終階級 上尉
大領
墓所 国立大田顕忠院愛国志士第1墓域213号
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金英哉
各種表記
ハングル 김영재
漢字 金英哉、金英載
発音: キム・ヨンジェ
ローマ字 Kim Yong-jae
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金 英哉(キム・ヨンジェ、김영재)は日本統治時代の朝鮮独立運動家中華民国空軍及び大韓民国空軍軍人。最終階級は大領(大佐に相当)[1]。中国名は王英哉。別名は金世日金世一金鐵雄など。叔父は軍人、政治家の金弘壹本貫金海金氏

経歴

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1911年4月、平安北道龍川郡で金弘翊の息子として生まれる。

1931年に日本の航空学校を卒業した後、上海へ亡命。金晳らと共に上海韓人青年党を組織。上海天長節爆弾事件で使われた爆弾の製造に関わった。のちに義烈団に加入。

1933年4月、朝鮮革命幹部学校第1期卒業。1934年4月まで同学校の第2期教官を務める。

1935年に中国の航空学校で教育を受け、中国空軍に入隊。蔣介石私有飛行機の機械整備士や昆明航空大隊の機械師などを務めた。

1937年に上海で金九を仲介人に李シンギルと結婚。

1938年、朝鮮義勇隊に参加。1939年、第3支隊長。1940年から韓国光復軍総司令部に編入され、要人警護と秘書職を担当した。1944年6月、韓国臨時政府宣伝部総務科科員[2]。1945年3月、インドに派遣される予定だったが[3]、その前にビルマの戦いが終了したため中止となった。

1946年、帰国。韓国空軍に入隊。1950年11月、アメリカから買収したC-47輸送機の整備責任者(大尉)[4]。1953年2月15日、第10戦闘飛行団(団長:金英煥大領)第10整備補給戦隊長(中領)[5][6]。1956年、航空廠長(大領)[7]。1957年9月15日、第40補給廠長。第18戦闘航空団[8]や釜山供給処[9]などで軍需部門の職に就いていた。

予備役編入後の1965年、釜山にて死去。享年54。1990年に建国勲章愛国章を追叙された。

親族

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  • 祖父 金振健(김진건、不明 - 1918年、平安北道龍川郡の富農)
  • 父 金弘翊(김홍익、金振健の長男)
  • 叔父 金弘壹(김홍일、金振健の三男、独立運動家、国民革命軍中将、韓国陸軍中将、国会議員)
  • 妻 李信吉(이신길
  • 長女 金吾和(김오화
  • 次女 金明和(김명화、1940年中国昆明生まれ、釜山の薬師、1976年渡米、長老派教会勧士)
  • 三女 金蓉和(김용화
  • 四女 金慶和(김경화
  • 五女 金東和(김동화
  • 六女 金聖和(김성화
  • 七女 金江和(김강화

脚注

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  1. ^ 国立大田顕忠院参拝墓碑の写真
  2. ^ 大韓民國臨時政府職員 選解任簿” (韓国語). 国史編纂委員会. 2015年11月26日閲覧。
  3. ^ 趙志英 외 9인의 印度 派遣工作을 위한 여권발급에 관한 공함” (韓国語). 国史編纂委員会. 2015年11月26日閲覧。
  4. ^ 韓國戰爭史第4巻 總反擊作戰期(1950.9.15~11.30)” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. p. 706. 2018年10月25日閲覧。
  5. ^ 韓國戰爭史第9巻 對陣末期(1953.1.1~1953.7.27)” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. p. 945. 2018年10月26日閲覧。
  6. ^ 박동찬 (2014) (PDF). 통계로 본 6·25전쟁. 국방부 군사편찬연구소. p. 193. ISBN 979-11-5598-010-1. https://www.imhc.mil.kr/user/imhc/upload/pblictn/PBLICTNEBOOK_201408070704130850.pdf 
  7. ^ “金貞烈中將 ?八日 向美” (朝鮮語). 부산일보. (1956年3月1日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19560301000014 2019年10月26日閲覧。 
  8. ^ 문단사화 - 윤봉길 의사 도시락 폭탄, 우리 작은 할아버지 작품...
  9. ^ 第六章擔任總統座機長十年 (PDF)

参考

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関連項目

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  • 孫基宗 - 同じく朝鮮系パイロットで蔣介石の専用機の副操縦士を務めた。