コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

金炳八

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金炳八
김병팔
生年月日 1934年8月8日
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮咸鏡北道
没年月日 2013年
出身校 万景台革命学院
所属政党 朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党
称号 金日成勲章

当選回数 1回
在任期間 2009年3月8日 - 2013年
最高指導者 金正日1994年 - 2011年
金正恩2011年 - )

在任期間 2009年4月9日 - 2013年
委員長 金永南1998年 - 2019年

朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮職業総同盟中央委員会委員長
在任期間 2007年7月10日 - 2010年8月

在任期間 1988年3月7日 - 2010年9月28日
総書記
総書記
金日成1966年 - 1994年
金正日1997年 - 2011年
テンプレートを表示
金炳八
各種表記
チョソングル 김병팔
発音 キム・ビョンパル
テンプレートを表示

金 炳八(キム・ビョンパル、朝鮮語: 김병팔1934年8月8日 - 2013年)は、朝鮮民主主義人民共和国政治家朝鮮職業総同盟中央委員会委員長、朝鮮労働党中央委員会委員候補、黄海製鉄連合企業所支配人兼党委員会責任書記などを歴任した。

経歴

[編集]

日本統治時代1934年咸鏡北道で生まれた[1]万景台革命学院を卒業し、ソ連に留学[1]1972年金策製鉄連合企業所技師長に就任し[1]1982年金日成勲章を受賞した[1]1987年黄海製鉄連合企業所支配人兼党委員会責任書記に転じ[1]1988年3月7日に開かれた朝鮮労働党中央委員会第6期第13回総会で同委員会委員候補に補選された[1]1994年7月8日金日成主席が死去した際には、国家葬儀委員会委員に選ばれた[1]

2007年7月10日に開催された朝鮮職業総同盟中央委員会第58回総会で同委員会委員長に選出された[2]。朝鮮インド親善協会委員長、朝鮮パレスチナ親善協会委員長を兼任。2008年10月13日に訪朝した張錫春韓国労働組合総連盟(韓国労総)委員長と会談し、南北労働者の連帯・協力強化方案などについて討議し[3]10月24日に訪朝した李錫行全国民主労働組合総連盟(民主労総)委員長とも会談した[4]

2009年2月4日に韓国労総・民主労総の代表と会談し、3団体共同での白頭山登山などについて協議した[5]2009年3月8日に実施された最高人民会議第12期代議員選挙で代議員に選出され[1][6]4月9日に開催された最高人民会議第12期第1回会議で最高人民会議常任委員会委員に選出された[7]

2010年8月には朝鮮職業総同盟中央委員会委員長を解任され、9月28日に開催された朝鮮労働党第3回党代表者会で朝鮮労働党中央委員会委員候補から脱落。2013年10月16日には愛国烈士陵に埋葬されたと報じられたが[8]、死亡日時は不明。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h 김병팔북한지역정보넷
  2. ^ <조선신보> 북 직총 새 위원장에 김병팔 선출 統一ニュース 2007年7月11日
  3. ^ 남북 노동자 대표자회의 정례화 합의 統一ニュース 2008年10月18日
  4. ^ 통일부, 민주노총 방북단 중 공무원노조 3명 방북 불허 統一ニュース 2008年10月24日
  5. ^ 남북 노동자 3대 단체, 8월께 백두산 공동등반 추진 統一ニュース 2009年2月7日
  6. ^ 북, 12기 최고인민회의 대의원 687명 발표(명단) 統一ニュース 2009年3月9日
  7. ^ 북, 김 위원장 재추대, 헌법 수정보충 統一ニュース 2009年4月9日
  8. ^ 통일부, 민北, 김병훈 前문예총위원장 등 5명 애국열사릉 안치 聯合ニュース 2013年10月16日

参考サイト

[編集]
 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
先代
廉順吉
朝鮮職業総同盟中央委員会委員長
2007年 - 2010年
次代
玄相主