金炳八
金炳八 김병팔 | |
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生年月日 | 1934年8月8日 |
出生地 | 日本統治下朝鮮咸鏡北道 |
没年月日 | 2013年 |
出身校 | 万景台革命学院 |
所属政党 | 朝鮮労働党 |
称号 | 金日成勲章 |
最高人民会議代議員 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2009年3月8日 - 2013年 |
最高指導者 |
金正日(1994年 - 2011年) 金正恩(2011年 - ) |
在任期間 | 2009年4月9日 - 2013年 |
委員長 | 金永南(1998年 - 2019年) |
朝鮮職業総同盟中央委員会委員長 | |
在任期間 | 2007年7月10日 - 2010年8月 |
朝鮮労働党中央委員会委員候補 | |
在任期間 | 1988年3月7日 - 2010年9月28日 |
総書記 総書記 |
金日成(1966年 - 1994年) 金正日(1997年 - 2011年) |
金炳八 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 김병팔 |
発音: | キム・ビョンパル |
金 炳八(キム・ビョンパル、朝鮮語: 김병팔、1934年8月8日 - 2013年)は、朝鮮民主主義人民共和国の政治家。朝鮮職業総同盟中央委員会委員長、朝鮮労働党中央委員会委員候補、黄海製鉄連合企業所支配人兼党委員会責任書記などを歴任した。
経歴
[編集]日本統治時代の1934年に咸鏡北道で生まれた[1]。万景台革命学院を卒業し、ソ連に留学[1]。1972年に金策製鉄連合企業所技師長に就任し[1]、1982年に金日成勲章を受賞した[1]。1987年に黄海製鉄連合企業所支配人兼党委員会責任書記に転じ[1]、1988年3月7日に開かれた朝鮮労働党中央委員会第6期第13回総会で同委員会委員候補に補選された[1]。1994年7月8日に金日成主席が死去した際には、国家葬儀委員会委員に選ばれた[1]。
2007年7月10日に開催された朝鮮職業総同盟中央委員会第58回総会で同委員会委員長に選出された[2]。朝鮮インド親善協会委員長、朝鮮パレスチナ親善協会委員長を兼任。2008年10月13日に訪朝した張錫春韓国労働組合総連盟(韓国労総)委員長と会談し、南北労働者の連帯・協力強化方案などについて討議し[3]、10月24日に訪朝した李錫行全国民主労働組合総連盟(民主労総)委員長とも会談した[4]。
2009年2月4日に韓国労総・民主労総の代表と会談し、3団体共同での白頭山登山などについて協議した[5]。2009年3月8日に実施された最高人民会議第12期代議員選挙で代議員に選出され[1][6]、4月9日に開催された最高人民会議第12期第1回会議で最高人民会議常任委員会委員に選出された[7]。
2010年8月には朝鮮職業総同盟中央委員会委員長を解任され、9月28日に開催された朝鮮労働党第3回党代表者会で朝鮮労働党中央委員会委員候補から脱落。2013年10月16日には愛国烈士陵に埋葬されたと報じられたが[8]、死亡日時は不明。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 김병팔북한지역정보넷
- ^ <조선신보> 북 직총 새 위원장에 김병팔 선출 統一ニュース 2007年7月11日
- ^ 남북 노동자 대표자회의 정례화 합의 統一ニュース 2008年10月18日
- ^ 통일부, 민주노총 방북단 중 공무원노조 3명 방북 불허 統一ニュース 2008年10月24日
- ^ 남북 노동자 3대 단체, 8월께 백두산 공동등반 추진 統一ニュース 2009年2月7日
- ^ 북, 12기 최고인민회의 대의원 687명 발표(명단) 統一ニュース 2009年3月9日
- ^ 북, 김 위원장 재추대, 헌법 수정보충 統一ニュース 2009年4月9日
- ^ 통일부, 민北, 김병훈 前문예총위원장 등 5명 애국열사릉 안치 聯合ニュース 2013年10月16日
参考サイト
[編集] 朝鮮民主主義人民共和国
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