コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

金洪俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金洪俊
生誕 1915年7月18日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮 慶尚北道尚州市
死没 (1946-09-16) 1946年9月16日(31歳没)
所属組織 満州国軍
南朝鮮国防警備隊
最終階級 上尉(満州国軍)
参領(国防警備隊)
テンプレートを表示

金 洪俊(キム・ホンジュン、朝鮮語: 김홍준1915年7月18日 - 1946年9月16日)は、日本統治時代の朝鮮軍人創氏改名による日本名は金澤 洪一

生涯

[編集]

1936年6月、中央陸軍訓練処第5期生として入学。ハルビンの第4教導隊での3か月間基礎軍事訓練を受けた後に入校し、1937年9月に卒業した[1]見習軍官を経て、同年12月に歩兵少尉に任官されたのち、歩兵第30団に配属された[1]1939年間島特設隊にて幹部として服務し、その後1941年3月3日満州国軍の中尉に進級した。1943年9月15日、熱河省から八路軍の討伐任務を完了したことにより、満州国から勲5位の景雲章を叙勲された。1944年3月前後に、間島特設隊の中隊長として服務中、熱河省楡樹林子一帯で行われた抗日武装部隊討伐活動に参加した。独立後は南朝鮮国防警備隊に勤務。1946年1月15日付で軍事英語学校を卒業して任中尉(軍番10008番)[2]。第4連隊の編成に携わり、創設中隊長[3]。同年5月、大隊長兼A中隊長の時に小隊長の趙岩少尉による中隊長排斥事件が起きると総司令部補給課長に転出[4]。1946年9月26日、交通事故により31歳で死去した。死後、国立墓地に埋葬された。

死後は親日反民族行為者に認定された[5]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 親日人名辞典編纂委員会 2009, p. 706.
  2. ^ 佐々木 1983, p. 85.
  3. ^ 佐々木 1983, p. 139.
  4. ^ 佐々木 1983, p. 140.
  5. ^ 06년 12월6일 이완용 등 친일반민족행위자 106명 명단 확정 공개” (朝鮮語). 한국일보 (2021年12月6日). 2022年7月25日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』(第4刷)原書房、1983年。ISBN 4-562-00798-2 
  • 飯倉江里衣『満州国軍朝鮮人の植民地解放前後史 日本植民地下の軍事経験と韓国軍への連続性』有志舎、2021年。ISBN 978-4-908672-47-7 
  • 친일인명사전편찬위원회 編 (2009). 친일인명사전 1. 친일문제연구총서 인명편. 민족문제연구소. ISBN 978-89-93741-03-2