金泰栄
金泰栄 김태영 | |
---|---|
| |
生年月日 | 1949年1月13日(75歳) |
出生地 | 韓国ソウル特別市鍾路区 |
出身校 | 陸軍士官学校 |
所属政党 | (無所属) |
在任期間 | 2009年9月23日 - 2010年12月3日 |
大統領 | 李明博 |
金泰栄 김태영 | |
---|---|
合同参謀議長在任時 | |
生誕 |
1949年1月13日 韓国ソウル特別市鍾路区 |
所属組織 | 大韓民国陸軍 |
軍歴 | 1973 - 2009 |
最終階級 | 陸軍大将 |
除隊後 | 第42代国防部長官 |
金泰栄 | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 김태영 |
漢字: | 金泰榮 |
発音: | キム・テヨン |
英語表記: | Kim Tae-young |
金 泰栄(キム・テヨン、1949年1月13日 - )は、大韓民国の政治家、軍人。第34代韓国軍合同参謀議長、第42代国防部長官などを歴任。最終階級は陸軍大将。
経歴
[編集]1949年にソウル特別市鍾路区で生まれた。京畿高等学校卒業後に陸軍士官学校に入学した[1]。ドイツの連邦軍大学留学を経て[1]、1973年に卒業し少尉に任官された(陸士29期)。その後、第23歩兵師団師団長[1]、国防部政策企画局長[1]、首都防衛司令部司令官[1]、第1野戦軍司令官[1]などを歴任した[1]。2008年に合同参謀議長に指名され、2006年に成立した国防改革に関する法律に基づいて、初めて国会で人事聴聞会が行われた[2]。聴聞会において北朝鮮から核攻撃されたことを想定する質問に対して「最も重要なことは、核がありそうな場所を確認して、打撃を与えることだ」と先制攻撃も辞さない考えを示すと、北朝鮮は反発して南北軍事境界線を遮断し、金泰栄の謝罪を求めた[3]。
李明博大統領から国防部長官に指名され、2009年9月23日8時に合同参謀議長を退任し予備役となり、その20分後に国防部長官に就任した[4]。 2010年3月26日に発生した天安沈没事件では北朝鮮による魚雷攻撃の可能性が高いと発表した[5]。5月1日に事件の責任を取り辞表を出したが、李明博大統領から事件への対応を評価され留任した[6]。同年11月23日に延坪島砲撃事件が発生すると、北朝鮮への報復攻撃が遅れたことや、戦闘機での精密爆撃を行わなかったことなどを批判された[7]。同年11月25日に事件の初動対応が問題視され李明博大統領から更迭された[8]。辞職後は韓民高等学校理事長に就任した[9]。2019年には文在寅政権の安保政策に反対する「大韓民国守護予備役将軍団」に参加した[10]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 신임장관 내정자 6인 프로필 東亜日報 2009年9月4日
- ^ “NLL은 거의 영토개념 무슨일 있어도 지켜야” 東亜日報 2008年3月27日
- ^ 사설국방부, 北에 謝過할 이유 없다 東亜日報 2008年3月31日
- ^ 김태영 국방, 전역 20분만에 장관 취임 東亜日報 2009年9月24日
- ^ 사설‘북한 비호’ 해괴한 주장들 뿌리가 궁금하다 東亜日報 2010年4月30日
- ^ 지방선거후 軍 지휘부 대폭 인사 東亜日報 2010年5月27日
- ^ 사설청와대와 軍‘연평도 대응’ 自責해야 東亜日報 2010年11月25日
- ^ 北, 연평도 포격 도발김태영 국방 전격 경질 東亜日報 2010年11月25日
- ^ 초대석국내 첫 군인자녀 기숙형사립학교 김태영 한민高 이사장 東亜日報 2014年11月9日
- ^ 400人あまりの予備役将軍団が発足、防衛費分担金の国民募金活動へ 東亜日報 2019年1月26日
軍職 | ||
---|---|---|
先代 金寛鎮 |
韓国軍合同参謀議長 2008年3月28日 - 2009年9月23日 |
次代 李相宜 |
公職 | ||
先代 李相熹 |
国防部長官 2009年9月23日 - 2010年12月3日 |
次代 金寛鎮 |