金森頼元
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保14年(1729年) |
死没 | 安永9年1月4日(1780年1月28日) |
改名 | 頼門(初名)、頼元 |
別名 | 亥之助、靭負 |
墓所 | 祥雲寺 |
官位 | 従五位下出雲守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 美濃郡上藩世嗣 |
氏族 | 金森氏 |
父母 | 金森頼錦 |
兄弟 |
頼元、井上正辰、金森可英養女、頼方、 可端、小出有相養女、錦豊、頼興、満吉 |
子 | 金森台賢養女 |
金森 頼元(かなもり よりもと)は、江戸時代中期の美濃国郡上藩の世嗣。官位は従五位下・出雲守。
略歴
[編集]2代藩主・金森頼錦の長男として誕生。初名は頼門。亥之助。靭負。
延享元年(1744年)4月末日、8代将軍・徳川吉宗に拝謁する。翌延享2年12月16日に従五位下出雲守に叙任され、延享4年6月17日、菊間詰めとなる。宝暦8年(1758年)12月25日、父・頼錦の罪に連座して改易となる。明和3年(1766年)4月25日に赦免され、安永9年1月4日(1780年1月28日)に没する。