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金森頼元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
金森頼元
時代 江戸時代中期
生誕 享保14年(1729年
死没 安永9年1月4日1780年1月28日
改名 頼門(初名)、頼元
別名 亥之助、靭負
墓所 祥雲寺
官位 従五位下出雲守
幕府 江戸幕府
美濃郡上藩世嗣
氏族 金森氏
父母 金森頼錦
兄弟 頼元井上正辰金森可英養女、頼方
可端小出有相養女、錦豊頼興満吉
金森台賢養女
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金森 頼元(かなもり よりもと)は、江戸時代中期の美濃国郡上藩の世嗣。官位従五位下出雲守

略歴

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2代藩主・金森頼錦の長男として誕生。初名は頼門。亥之助。靭負。

延享元年(1744年)4月末日、8代将軍・徳川吉宗に拝謁する。翌延享2年12月16日に従五位下出雲守に叙任され、延享4年6月17日、菊間詰めとなる。宝暦8年(1758年)12月25日、父・頼錦の罪に連座して改易となる。明和3年(1766年)4月25日に赦免され、安永9年1月4日(1780年1月28日)に没する。