金森鍬太郎
表示
金森 鍬太郎(かなもり くわたろう、1874年(明治7年)11月1日[1][2] - 1927年(昭和2年)1月26日[1])は、明治から大正時代の土木工学者、内務官僚。旧姓は伊藤[2]。
経歴・人物
[編集]伊藤宗兵衛の二男として愛知県に生まれ、金森きくの養子となり、1899年(明治32年)8月に家督を相続した[2]。1900年(明治33年)東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業し、内務省第五区(大阪)土木監督署に奉職する[1]。淀川改修工事では瀬田川の洗堰、浚渫などを指揮した[1]。ほか、琵琶湖の治水に携わった[1]。
1911年(明治44年)内務省土木局調査課へ転じ、土木局第一技術課、第二技術課長を歴任した[1]。この間、臨時治水調査会、港湾調査会委員などを務めたが、在職中に死去した[1]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 高橋裕、藤井肇男 共著『近代日本土木人物事典: 国土を築いた人々』鹿島出版会、2013年。ISBN 4306094294。