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金森事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

金森事件(かんもりじけん)とは、1941年朝鮮釜山府(現:大韓民国釜山広域市)の製鋼会社の工場において起きた放火事件である。事件名は、後にこの事件で有罪とされながらも再審無罪となった被告の名前が由来となっている。別名は金森老事件。

概要

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1941年10月2日、当時、日本が統治していた釜山府の製鋼会社の工場で放火事件が発生。この放火で製鉄工場は全焼して、目撃証言などから同じ敷地内で全焼した製鉄工場の隣の帆布工場で職工監督として勤務していた男性Aが逮捕された。男性Aは、拷問により自白させられた後、非現住建造物放火罪で起訴された。公判では一貫して無罪を主張したが、旧刑事訴訟法の下では自白が重視されることもあり、一審で懲役15年の有罪判決。二審、最高裁もこれを支持して確定した。

再審

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1947年、男性Aは仮出所すると事件にかかわる証言を集め出した。すると、1943年に別件で逮捕されていた中国人男性が本件の放火事件を含む数件の放火事件で起訴されて予審終結決定を受けたことが判明。これは敗戦に伴う混乱によってうやむやになっていた。その後、1967年3月に再審請求をして1969年6月に大阪地裁で再審開始が決定した。

1969年12月13日に行われた公判では、検察側が「金森さんを有罪とする証拠は極めて乏しい。裁判所でしかるべき判決をしてもらいたい」と論告。求刑を放棄したため、わずか2か月で結審した[1]1970年1月28日に大阪地裁は、逮捕以来28年ぶりとなる再審無罪判決。判決では前述の中国人男性について、当時目撃供述していた現地女子工員2名の中国人男性の方が犯人の後姿とそっくりという供述からAに対して犯罪の事実はないとした。

補足

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戦前に起きた事件としては吉田岩窟王事件以来となる再審無罪判決であった。

脚注

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  1. ^ 検察側が求刑放棄 金森事件 無罪判決は確実『朝日新聞』昭和44年(1969年)12月13日夕刊、3版、11面

参考文献

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