金春晃実
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金春 晃実(こんぱる てるちか、1931年(昭和6年)8月3日 - 2002年(平成14年)4月3日)は、日本の能楽師。金春流シテ方。父は金春流77世宗家の金春栄治郎。長男に金春穂高。
略歴
[編集]1931年、奈良県に生まれる。1956年、京都大学文学部を卒業。父は金春流77世宗家の金春栄治郎。幼いころから指導を受け、1938年に初舞台を踏む。大学在学中の1955年に幻の伝書といわれた世阿弥の「拾玉得花」を発見した。1972年日本能楽会会員となる。体全体を使って演じる鬼もの、修羅ものを得意とし、カナダやフランスなどで海外公演を精力的に行った。金春刊行会代表、日本能楽養成会講師、奈良大学講師を務め、後進の指導にも尽力した。2002年に死没。[1]
親族
[編集]- 金春大夫元照(曽祖父、金春流73世宗家)
- 金春七郎広運(祖父、金春流76世宗家)
- 金春栄治郎(実父、金春流77世宗家)
- 金春八条(叔父、金春流78世宗家)
- 金春穂高(子息、能楽協会大阪支部常議員・社団法人金春円満井会理事)
- 金春信高(従兄弟・八条の長男、金春流79世宗家)
- 金春欣三(従兄弟・八条の次男、能楽師)
- 金春安明(従甥・信高の子息、金春流80世宗家)
- 金春智子(従姪・欣三の子女、脚本家)
- 金春憲和(従甥孫・信高の子息、能楽師)
典拠
[編集]- ^ 日外アソシエーツ編『新撰 芸能人物事典』(2010年)